2013年4月17日

阿部宗一郎『出羽に青山あり』・・・

『出羽に青山あり』

 実に簡素な句集である。もちろん、略歴も簡素(生年も記されていない)。

 集中の作、

     卒寿という今日思いきり蝿叩く      宗一郎

の句があるので、90歳以上の方だとは想像がつく。

簡素ついでに触れさせていただくと、麗々しい序文も跋文もなく、ただ、自序と序句のみが置かれている。

 序句、

     母われを出羽に青山ありと生む

 跋句、

     旅果てて出羽路そろそろ枯野かな

 句集名に「出羽に青山あり」とあるくらいだから、青色のにじむ句も散見される。

 また、小生は非才にして「青山」を「セイザン」と読んだまではいいが、「人間至るところに青山あり」のフレーズを誤読して、いたるところに緑なす山があるのだ、くらいに考えていたら、どうやらそうではないらしい。

 恥しながら、蘇軾の詩に端を発するところを読むと、「是処青山可埋骨」とあって、「青山」とは骨を埋めるところらしい。つまり、墓である。

 ということがわかると、この序句の「母われを出羽に青山ありと生む」の句は、実に、泪のこぼれそうな句である。

 それも、跋句においてはそろそろ「枯野かな」で止めを指すとは、生半可ではできない句である。枯野に夢をかけめぐらせらせた芭蕉のことを思えば、これもいささかの覚悟が伺える。

しかし、この句集の巻なかばに、「出羽に五尺の雪が降る」の章、「雪女」の句郡は艶かしく圧巻である。

俗名を「ゆき」といい、大正12年没享年82.その雪女に先だつこと10年、享年72の曽祖父・庄太の仮託された物語である。それは「名を聞けばゆきと名乗りし雪女郎」からはじまるベタ組みの巻尾は「その寺を継ぐ身のさだめ雪童子」の句をもって巻き終わる。

全句が心ばえの風情、かつ諧謔の表情をもつ一本である。

 最後に、くつかの句を上げさせていただいて、上木を言祝ぎたい。

     水芭蕉いのちみどりの子を抱いて

     登茂加久藻(ともかくも)禿と白髪の初湯かな

     五月蝿(うるさ)いというほど若き蝿も居ず

     音までも氷柱にしたり出羽の滝

     なぐられたなぐった兵の墓の夏

     神無月旅費なくこもる山の神

     迎えまた送り火もなき墓ばかり

     茶柱に阿吽(あうん)のふたり良夜かな

     反骨は蝦夷の血すじまむし草

  ツルニチソウ↓

ツルニチソウ

   

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