2013年5月27日

「岳」35周年記念大会・・・

「岳」35周年記念大会vol.1

 新緑鮮やかな5月25日(土)、軽井沢プリンスホテルに於て「岳」35周年記念大会が開催された。

記念講演はノンフィクション作家で評論家の柳田邦男氏「ことばと生きなおす力」。

パネルディスカッションは、講演の柳田邦男氏を加えて、小島ゆかり(歌人)、いせひでこ(画家・絵本作家)、宇多喜代子、宮坂静生の各氏を入れてコーディネーターは小林貴子氏。「3.11以後」の言葉、表現について語り合われた。

祝賀パーティーには全国から参じられた「岳」の方々と、多くの来賓で500名以上の席が埋まった。

パーティの司会はパネルディスカッションから連投で小林貴子氏と有手勉氏。

開会のことばは折井真琴氏。続けて園城寺龍氏による宮沢賢治「永訣の朝」、岩井かりん氏の宮坂静生「吉事(よごと)」20句、金子圭子氏によるいせひでこ「二本の桜」のそれぞれの朗読が行われた。

     「岳」三十五周年自祝

   葉櫻に吉事(よごと)の雪を賜りし       静生

来賓の祝辞には、大串章、宇多喜代子、片山由美子各氏に続いて、星野高士氏はじめ乾杯のシャンペンの栓抜きが14名氏によって開かれた(下の写真↓)。

歓談のなかでNHKアナウンサー石井かおる氏や櫂未知子氏などの祝辞もあった。

パーティーの最期は若林圭子氏のシャンソンの夕べで堪能した。

終わりのことばは、宮沢賢治研究会もなさっている佐藤映二(栄二)氏。

「岳」35周年記念大会vol.2

 閑話休題・・

祝賀会には林編集長とともに参加したのだが、愚生のテーブルのメンバーは、沖縄から玉城一香氏と一緒に神谷石峰氏、右隣には、前回「岳」30周年の折に、翌日「突然軽井沢吟行」に一緒になり、筑紫磐井の題詠句会でもお合いした中西夕紀氏、そして、神野紗希、遠山陽子、宗田安正、鳥居真里子の各氏だった。

歓談の機会に大串章氏に「京大俳句」について少し伺ったが、大串氏や竹中宏氏、故髙木智氏故中谷寛章氏が参加されていた当時の「京大俳句」は自身で第4次「京大俳句」と称されていたということだった。

そして、第三次に連続して、続いていたと思っていた上野ちづこ、江里昭彦、久保田耕平各氏などの「京大俳句」は正確にはどうも第四次もしくは第五次と呼ぶのが相応しいにかも知れない。

ということは、現在再建されている「京大俳句」は正確にいうと第5次もしくは第6次「京大俳句」ということになる。

つまり、我々のよく話題にする新興俳句弾圧事件の世にいう「京大俳句事件」は第一次「京大俳句」として壊滅、そして敗戦直後に行われていた泉田秋碩氏の京大俳句会は第二次ということになる。

そして、そのほかに「京大俳句」という雑誌を発行することなく存在した「京大俳句会」が何次かあったのかも知れない。

とにかく、一度関係者によって正確な「京大俳句」の歴史を書き留めてもらいたいものだ。

 もう一つのエピソードは、宇多喜代子氏と歓談のとき、今月6月号の本誌・魅惑の俳人「攝津幸彦」の夫人資子さんのインタビューで幸彦の母が「俳句」を辞めるように伝言されていたということについて、「最初は幸彦に俳句を勧めたのは母・よしこさんよ。そのときは幸彦が映画監督をやりたかったので、映画の世界に入るのは反対だったから、お母さんが俳句を勧めたのだが、幸彦が俳句の世界に入ってからは反対した」ということ(実際に俳句に誘いいれたのは伊丹啓子氏だったが)。

確かに親としては、少しでも安定した職業についてもらって、生活を安定させてほしいと思うのは当然といえば当然。しかし、大学を卒業して、無事、旭通信社に就職してからは、仕事がおろそかになってはいけないと俳句をやめさせるように資子さんに零していたということだろう。

ブラシの木↓

ブラシの木vol.1

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星野高士先生に模様をお聞きしました。盛大な祝賀会だったと聞いております。

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