2013年5月14日

久光良一『走り雨』・・・

『走り雨』vol.1

   すっかり葉を落し 風に話している     良一

自由律俳句の句集である。

   生きるのを楽しむ朝のいも粥吹いて喰う

いわゆる伝統派の俳人はよく、「自由律は一行詩のようなもので、それなら俳句といわずに詩を作ればいい」と言う。いうなれば排除の論理が垣間見えるものだ。

いずれにしても、どなたが言ったかわすれたが、俳句という同じ土俵ながら、どこか異種格闘技という感じすらする定型俳句と自由律俳句。

荻原井泉水は「『俳句は日本的な短い形をもつ文学だ』ということは今日の通年になっている」(『層雲の道』昭和48年二月・層雲社刊)と述べ、続けて「単に『日本的の短い形をもった文学』とし第一歩から出直さなくてはいけない。これが私が『新しい俳句』を主張した時に提唱したことである。それと共に『俳句』は単に『短い形をもつ文学』としてではなく、そのうしろに芭蕉の云うところの『風雅』の精神というものを持たなくてはいけない。先ずこの精神を体得する。それを体得したところの心がことば(・・・傍点あり)となる。そこに一種の『修行』というものがある。(中略)この心境的なものを察知することなくして、単に『俳句は短い形をもった文学』だとののみ理解するならば、たとえ、それが『約束文学』を離れたる自由の律をもった形式なっていたところで、それは西洋的な『詩』の一種の文学であって、それを『俳句』という名の詩と呼ぶことはできない」と記している。

今日の社会的状況は、「非定型で季題の有無にこだわらない俳句」、つまり自由律俳句の拡大の素地は充分に存在していると思われるのだが、多くは定型の秩序のなかに安易に陶酔する俳句を日々量産し、現実はそのような安穏な事態を許してくれないはずであるのに、一日でも多くその惰眠をむさぼっていたいという心情(愚生がそうなのだが・・)を含めて、ひたすら延命を希望しているようなのである。

いずれにしても、今は数少ない自由律俳句のテキストとして久光良一の句群がもたらされたのだから、歓迎しなければならない。

略歴によると、久光良一は1935年朝鮮平安道安州邑生まれ。俳句は92年、山頭火に縁のあった江良碧松の「周防一夜会」に入会した。従って約20年の句業の成果がこの句集に収められていることになる。

 せっかくだから江良碧松の句を少し挙げておこう(『層雲自由律90年作品史』・2004年刊より)。

   菊手入も霧の朝児は登校す        碧松(明治45)

   よべの火事あはれ道の辺初午に         (大正2)

   濁流の轟き傘借りて葉書買ひに出し       (大正4)

   朝日うちさばきうちさばき稲刈る          (大正5)

   牛が汗して鋤く田の土の黄な冬日         (大正6)

   児に噛んでやる餅よく噛むほどに甘し       (大正8年)

ともあれ、大正時代はあたかもホトトギスの石鼎、普羅、鬼城などが全盛のごとく挙げられるが(後世の捏造にちかい)、じつは新傾向から自由律俳句の盛んな時代であった。なにしろ、世は、短期間とはいえ、大正デモクラシーの華やかで自由な風が満ちていたのだから。

話しを元に戻して、久光良一の皮肉めいた諧謔の句は、

   平和ボケでいいボケに徹して生きる

   生き方は変えられぬいつもの角まがる

   いつかぷつんと切れるそれまでの糸つむぐ

   スローライフのつもりがあっけない入日だ

若干のニヒルな感じもある。

日常的なリアルな句も、

   鳴きしきる蝉 点滴が母につながれている

   今日もガンバローと拳つきあげて笑う妻

ここにはそうせざるをえない妻の姿も映し出されていよう。悲哀も伺える。

最後に、詩情に隠された何かを感じさせら句を上げさせていただきたい。

   根のないわたしが根のある草をひき抜く

   かげも手をふっていった

   窓 一人ぶんの孤独がある

   春 虫いっぴきの背に乗るだけの春である

   ぶらんこ揺らしてわたしの時間まだ少しある

   踏まれて踏まれて道になった道である

トチ(マロニエ)の花↓

トチ(マロニエ)の花vol.1

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