2013年5月20日

卒寿記念・村越化石自選句集『籠枕』・・・

句集『籠枕』vol.1

 本句集は、村越化石の既刊句集、『獨眼』『山國抄』『端坐』『筒鳥』『石と杖』『八十八夜』『蛍袋』『八十路』『団扇』9句集から、化石自身が」選んだ句、しかも句集『獨眼』以前に詠まれた、句集未収録句と、さらに『団扇』以後に詠んだ(平成24年9月まで)句、900余句が収められた、文字通り、村越化石の来し方のおおよそが眼前にもたらされる、宝の一本である。

その句集以前の巻頭句は(昭和15年)、

    雲海に大気養ふ登山かな

 詞書に「子供の頃、『六根清浄』と唱えながら、一歩一歩山の麓から登った富士山は、信仰のお山であった。この句が思いもかけず選者の高得点の天位に選ばれた。祭りの行灯にも大きく書かれた。皆からは『俳句少年現る』などと言われた」とある。他の句もあげておこう。

    春霜や石楠花ひしと葉を張れり

    人の死をうらやみすする寒卵

    踊らざる人ら銀河に暗く居り

口絵写真↓

口絵写真vol.1

 村越化石は、1922年(大正11)12月17日、静岡県岡部町に生まれた。本名、英彦。38年(昭和13)ハンセン病のため旧制中学を中退、離郷。東京、草津湯ノ沢などの病人宿を経て、41年国立療養所栗生楽泉園に入園、同年奈美と結婚。「鴫野」主宰・本田一杉(いっさん)の指導を受け、「栗の花」句会(高原俳句会)の先輩だった浅香甲陽の影響を受け、49年「濱」の大野林火に入会師事した。70年、失明。74年『山國抄』で第14回俳人協会賞、83年『端坐』で第17回蛇笏賞、89年『筒鳥』で第4回詩歌文学館賞、2007年第8回山本健吉文学賞を受賞。

   子規は眼を失はざりき火取虫    甲陽 

   秋の蛇岩を濡らしてかくれけり    一杉

   ねむりても旅の花火の胸にひらく   林火

村越化石の最近の事情について、三浦晴子は、跋の中で、愛情あふれる筆致で、次のよう記している。

   この句集出版に際しては、化石先生の平成二十一年十一月の心不全による入  

 院、その後八ヶ月に及ぶ病棟での闘病生活の中での編集であり、並々ならぬご決意 

 であったと思う。(中略)作家としての真の勇気、精神の潔さ、尽きることのない強靭な

 詩魂を思い、ただただ頭を垂れるばかりである。両眼の光を失い、両手の自由を奪わ

 れ、最近では健やかであった聴力すらもその力を弱めつつある。そのような状況の中 

 で、一言の不平も言わず、不満も洩らさず、笑顔で「大丈夫だよ」と言い、「俳句が沢

 山出来るんだよ」と嬉しそうに言われ、時を惜しむようにひたすら句作に励まれる化石

 先生。ラジオも聴けない、たった一人の光のない殺風景なベッドの上で、一心に句作

 を続けられる化石先生の姿に、心が震えた。化石先生のそうした姿の中に、作家とし

 ての真の姿を見た思いがした。これが俳句を作ることなんだと教えられた。

句集口絵より↓

口絵写真vol.2

 『団扇』以後の句から(平成22年~24年9月)、

     啓蟄の地を激震の走りたり

     籠枕手枕の時移りゆく

     暗がりに生きて団扇を使ひをり

     今日も会ひ明日もまた会ふ天高し

     楽しさは裏道にあり枯木星

       晴子さんの話をそのまま句にして

     化石碑をめぐる子らゐてこどもの日

     園歌流れ賛美歌流れ籠枕

     死に遅れしか生き残りしか籠枕

、    言うべきを言うて果てしか終戦忌

 まだまだ、多くの句を上げたいところだが、直接御手にとられることを願って、 最後に第一句集『獨眼』より、いくつかを挙げておこう。

     除夜の湯に肌触れあへり生くるべし

       除夜だから、明日への希望もまた。私の代表作。

     湯豆腐に命儲けの涙かも

       新薬プロミンの恩恵に浴し数年を経たれば

     麦秋の妻子を生かす癩の銭

       わづかの作業賃を貯め故郷へ仕送りする人のあり

     蘇る手がふところに大寒なり

       癩性後遺症に施す整形手術可能となる

     花栗や癩障害に銭たまひ

       福祉年金受く

ジャガイモの花↓

ジャガイモの花vol.1

| コメント(2)

コメント(2)

  

凄い方なのですね。ご紹介していただきありがとう。

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