2013年5月21日

田中陽句集『ある叙事詩』・・

田中陽句集『ある叙事詩』

  みんな加害者八月の蝉がシャッと去る      陽

  だれが死んでもおどろかない おれが死んでも

  テレビの空襲サイレン一歳児が抱きついてきた

  五七五などぼくを癒さずさくら散る

  墓の蓋あけてひかりを入れる何か言ったか

 『ある叙事詩』は『傷』『愉しい敵』に続く田中陽の第3句集である。

1989年~2002年、14年間の田中陽の句業を収めている。

つまり、田中陽の50歳代後半から60歳代後半まで。

従って、近10年間の田中陽の句業については、もう一本の句集が必要なのである。

そして、いずれ著されるであろうもう一本の句集については、本句集の「あとがき」に、すでに、抱負が語られている。

  〈3.11以後の俳句〉を戦後俳句の延長線上にテーマ化している僕自身、(中略)

 このテーマは、被災句を書くとか、書かないといったこと以上に俳句革新の根源の問  

 題を孕んでいるのです。僕は昭和一桁後期の生まれ(平成天皇と全く同じ)、いわゆる

 疎開学童世代に9属します。敗戦と今回の「3.11」は体験を超えて"思考〟として 

 受け止め、この"二つ〟を重大なるものとして、俳句という自己表現の底に埋めてお

 きたいと考えています

 田中陽の句は、いわゆる口語俳句と呼ばれているが、口語俳句の呼称が定着するのは戦後市川一男らが唱導した「今日以後の俳句は文語ではなく、口語でつくるべきだ」という口語俳句運動によっている。その市川一男が創刊した「口語俳句」は、その後、まつもとかずやに継承されたが、77年150号を持って終刊している。現在、田中陽は「主流」の代表を勤め、かつ口語俳句協会の幹事長も勤め多忙を極めている。そしていま、彼の想いとはべつに、日本は戦争の出来る国家に大きく踏み出そうとしている。愚かなるナショナリズム、「国益」などという言説が日常的に飛び交う現状こそは、真に「国益」につながるものではない。関東大震災直後に、大杉栄、伊藤野枝、甥の橘宗一ばかりでなく、どさくさにまぎれて、多くの反軍を唱えた人々は当局が流したであろう流言蜚語によって虐殺された。それこそが、世が大正デモクラシーを謳歌していた時代の一方で行われた「国益」を大声で怒鳴り散らした結果だったことを思い起す必要がある。

 それが、まぎれもなく田中陽が「敗戦と『3・11』は体験を『超えて"思考〟」をめぐらしていることなのではなかろうか。

 ともあれ、最後に僕の好みに偏したいくつかの句を上げておきたい。

    共産党という保守窓に枯木が鳴りどうし

    一生懸命書くとひかりは薔薇から来

 「一生懸命」は「一所懸命」にしてほしいが・・・・

    俺が老いるとは嘘のようだが老いている

    かなしみは苦しみハッと月に遭う 

 「ハッと」は田中波月の「波」=「ハ」だよね~きっと・・そうすとると月もピッタリ。

    喪を引きずっている元日のわが影よ

    下着どれにもヨウと書いてある・替える

ホタルブクロ↓

ホタルブクロvol.1

・閑話休題

本日の昼休みに古書店文省堂が今月末に閉店となり、すべての文庫本が100円というので、いくつか目に付いたものを買った。

レイ・ブラッドべりは、髙柳重信の逝去後、蔵書の整理に行った人から、レイ・ブラッドべりの本が重信の書棚に並んでいたと聞いていたのと、攝津幸彦最後の句集名(予定されていた)「四五一句」が、ブラッドベリの紙が燃え出す温度「華氏451」のものだということだったことによる。

それよりも、ついでに岩波文庫『日本唱歌集』を買ったら、そのなかに唱歌とは似つかない「蒙古放浪歌」の歌詞を立派な文字で書かれた紙が折りたたまれて挟まれていたことだった。

以下にその筆跡を掲載して置く↓(これって痕跡本の一種にあたるのかなあ・・)。

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