2013年7月のブログ記事

2013年7月31日

黒川石龍子句集『楷の風』・・・

句集『楷の風』

 句集名は次の句から・・

    樟の風楷の風くる端午かな    石龍子

俳号は石龍子(せきりゅうし)、本名、芳昭。

1945(昭和20)年、栃木県生まれ。

著者「あとがき」によると、俳句に係ったのは18歳のころ、職場の上司の句会だそうである。

その後、昭和48年に「沖」(能村登四郎主宰)に入会、中断があって、2001(平成13)年、現在の波戸岡旭主宰「天頂」に入会し、03年には「天頂」新人賞とともに同人になっている。

収載の句は、初期の習作を捨て去り、「天頂」入会以後の、改めて俳句を志したときからの作品を収めている。

     見るほどに体の沈む寒牡丹     

     釣糸に銀の風来る小春かな

     西瓜売りどれも旨しと二度叩き

     赤も青も涼し岡本太郎展

     一斉に揺るる藤波我も揺れ

     夏の果てをとこが焦がす三分粥

     言葉華やぐ三月も月半ば

     茶柱を二本立たせて万愚節

 いずれも味わい深い佳句がならぶが、とりわけ印象深く心を撃ったのは、姉を詠んだ句である。

    春苺食ぶ古稀の姉喜寿の姉

   姉の声母に似てきし貝母咲く

   姉の忌や唖蝉ばかり飛ぶ小路

佳吟が目白押しの句集であるが、それはこの句集を手にとられる方々の興味にゆだねて、

結びに 、愚生の好みの句をあげさせていただきたい。

   練炭に湯が沸き在の小正月

   代掻いてまづは夕月浮かせけり

   手花火のつひのしづくのよく伸びて   

東大構内vol.3

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2013年7月31日

俳句を作るフツーの人、・・

俳句を作るフツーの人vol.1

 このブログをご覧になっていただいている方々には、突然のお知らせとなりますが、

 本日をもちまして、愚生は常勤社員を辞することになっています。

 今後は、月に一、二度の出社で嘱託として、いくばくかの役目を果たすことになろうかと存じます。

 (このブログでの弊社出版物のつたない書評は続けようと思っています)。

 

 偶然のことから、思いもかけず「俳句界」編集部顧問として、丸々4年間を過ごさせていただき、第二の人生を退屈することなく、有意義に生かしていただき、皆々様に感謝申し上げます。

 愚生の同期の友人たちも、よほど出世した者は別として次々と本格的にリタイヤしていますので、

 世間的には高齢者らしい?愚生もその例に洩れずというところでしょうか。

 いよいよ第三の人生?晩節?を迎えるということになりそうですが、それはそれで楽しみなことであります。

 煩悩多く、悟るには生臭な愚生の今後も、趣味は俳句(それ以外の趣味もなく)ということで・・・、

 望みは何と尋かれたら、「俳句を作るフツーの人」と答えたいなと思っています。

 まだまだ暑い日が続きます。皆様、お体を大切にご自愛下さるよう祈念申し上げます。

                                            大井恒行 拝

インカノユリ↓(アルストロメリア)

俳句を作るフツーの人vol.2

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2013年7月30日

小寺篤子句集『薔薇の風』・・・

句集『薔薇の風』vol.1

 句集名は次の句から、   

     薔薇の風薔薇の香りの日曜日   篤子

昭和56年から平成25年春までの「沙羅」(後の津田清子主宰「圭」)、「玉梓」(名村早智子主宰)その他に発表した千四百余句のなかから三六〇句を選んだという。三十数年の句業がまとめられているのだ。

平成18年の「玉梓」創刊時からの編集長を務めている。

句集序文は、主宰にして同志ともいうべき名村早智子の信頼と愛情溢れる懇切を極める。その結びに「篤子さんと私は同い年、団塊の世代を生きてきた。これからの篤子さんがどういう世界を切り開いていかれるのか、わくわくしながらも、共に歩んでいけることを願うばかりである」と期待する気持が表れている。

     縄跳びの輪の中蝶も入れて跳ぶ

    藤房に飛び付き姉妹背くらべ

    行書の「妙」楷書の「法」や大文字

    新樹光坐すに程良き標石

    壁炉燃ゆ火種は夜も残りゐて

 叙された光景に、素直に著者の心情が寄り添っている、といえよう。

ただ、団塊の世代というからには、社会的事象を詠んだ句がいくばくかはあろうか、と推測したが、さにあらず、明確にそれが表現されたのは次の一句のみであった。

    案山子立つ背なに原発阻止の札

 これは、

   肝心なことは言はずや水の秋

のなせるわざであろうか。それでも、子や孫の未来を思えば、無くていいものがあるのだ、ということを実に控えめに「案山子の背な」に託している。

   祇園祭さへもうとまし母逝きて

   きみの汗きみの命として光る

   もう五年いやまだ五年烏瓜

   燃え上がる気持ち一気に曼珠沙華

やはり、絶唱は次の句だろうか。

  風花や手に載るまでに風になる

エリカ↓

エリカ

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2013年7月29日

杉戸ゑるざ句集『のうぜん』・・・

句集『のうぜん』

 句集名は、巻頭の次の句から、

   ひと泣きの後凌霄(のうぜん)の濃かりけり    ゑるざ

 名和未知男の序文によると、「草の花」最若手だそうである。俳号「ゑるざ」は、ケニア生まれの雌ライオン、アダムソン夫妻に家族同様に育てられた「野生のエルザ」から「どんな状況でも生きていけるようにとの自分への応援歌的な命名」(序文)なのだそうである。

句集を貫くテーマははっきりしていて、著者は次のように述べている。

   谷中根岸千駄木等の古きよき昭和の佇まいと東京スカイツリーや六本木ヒルズ、再開発中 

 の丸の内の高層ビル群が混在している、情趣と新しさの融合、この東京的センスを俳句の世

 界で現、表現したい、というのが以前からの私の独自な俳句のテーマでもあります。

 しかも、

   句集なのに格好可愛い、と言われるような装丁にしたい、若い世代にも共感の得られる句

 集にしたい(あとがき)

という希望もあった様子・・・なかなか要求のレベルが高い。よって、井筒靖章の装丁は新書版、ビニールカバー装で気軽にハンドバックにも入り、持ち歩いてもオーケーという感じに仕上がっている。ノウゼンの花をあしらって赤を基調とした色遣いで見返しも赤。たしかに若い女性向きである。

句の題材は現代的だが、表現は意外に古風とみたが、いかがだろうか。

    イチローは打ちしかけふの雲の峰

    秋暑しパソコンに出るあかんべえ

    菩薩にも夜叉にも涼の新たなり

    大正の上がりは戦車絵双六

    煮凝やポスター古りし浜の酒肆(しゅし)

    元日の夜に聞くヨハンシュトラウス

  それは、たぶん、もうひとつの著者のテーマ、いわば追求課題として、自らに課している問題と切り結んでいることなのかも知れない。それを次のようにも記している。

    伝統俳句の美しさは「有季定型(季語があり五七五の韻律)」にあると思います。この伝統

  を崩さず、新しい切り口で花鳥諷詠(自然とそれにまつわる人事、花鳥をただ無心にうたう)を

  表現したいと今、模索しています。(同前) 

ともあれ、結びにいくつか、そのやわらかな印象をとどめた句をあげておきたい。

   地と水のひと色になる秋日かな

   水蕎麦の水少し足す秋の昼

   名入れして四条通に日記買ふ

   三角に野の広ごれる冬日和

   寒明のもの皆淡き色したる

サンゴジュ↓

サンゴジュvol.1

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2013年7月26日

山田圓子句集『難波津』・・・

句集『難波津』

 

 山田圓子(やまだ・えんし)、大正7年生まれ、ということは金子兜太よりも一歳上。

この方もお元気の様子である。

これまでに、つまり、戦前、昭和15年には水原秋桜子「馬酔木」に師事、その関係で山口草堂「南風」の門を敲いている。そして、「馬酔木」の「深青集」選者であった山口誓子「天狼」に参じるのだが、そこで、もともとは誓子『炎昼』の一字をもらって「炎子」と号していたのだが、平畑静塔に「炎」がよくないと言われ、「円」の旧字「圓」を選んで「圓子」となった、という。

本名は爲徳。熊本県生まれ。現在は東京府中市にお住まいだが、大阪暮らしが長かったということで句集名は『難波津』(なにわづ)。茨木和生「運河」に所属しておられる。

「天狼」健在のころは、「天狼」西東京支部長をつとめ、その関係で「天上俳句会」を主宰されている。

蛇足をいえば「天上」は「天の大上(おおかみ)」だから、やはり天狼なのだろう。

句集集録句数は1100句を超える。平成14年~平成21年までを収める第3句集。

1ページ4句立てだから、それだけで旺盛な作句力であることがわかる。

愚生のような俳句をほとんど作らない俳人とはわけが違う。

句集名ともなった難波津が詠まれた句を最初にあげる。

    難波津や今御堂筋銀杏散る      圓子

    難波津は妻子の故郷年迎ふ

    難波津を離れて永し花見かな

    難波津の春天満展望喫茶

集中では、妻を詠んだ句が切ないのだが、それは愛情のなせる業である。いくつかを上げると、

   病弱の妻を労り春惜しむ

   病む妻に目出度くもなし母の日は

   冷房に妻天国として眠る

   敬老日妻は米寿で鯛戴く

   燦々と妻は米寿の柚子湯する

   年老いし妻病む不安目借時

「あとがき」によると、その妻は今も入院中らしい。   

末筆になったが、印象深い句を上げさせていただきたい。

   その昔カカラ団子を食べ泳ぐ

   防空壕完成戦終る夏

   ピカドンは死語か長崎原爆忌

   雨水今日吾八十九誕生日

   風鶴院波郷の墓につつじ咲く

ますますのご健勝とご健吟を祈ります。

ムクゲ↓

ムクゲvol.2

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2013年7月23日

本多俊子句集『光のうつは』・・・

句集『光のうつは』vol.1

 句集名は次の句による。

    海神(わたつみ)は光のうつは鳥帰る   俊子

その理由を著者は「あとがき」に次のように記している。

   ハワイの伝承によれば、私たちが人間として生まれてくるときに、一人ひと 

 りが光の器をもって誕生するといわれております。その光をいつも大事にして

 「詠み続けたい」との願いを込めた私の心の風景です。

 著者は現在88歳。略歴には、昭和20年8月、夫戦死とあり、俳句は昭和61年に「琅玕」岸田稚魚に師事、平成3年に「槐」岡井省二に師事、省二亡きのちは現主宰の高橋将夫に師事している。本句集は『さくらの音』に続く第2句集である。

高橋主宰の帯文中にも「光と色が織りなす心の世界」とあるが、まさにそうした光に満ちた句集である。しかも、若々しい志にあふれた感じさえ伴っている。

それだけではない年齢を重ねただけの透徹したまなざしがある。

とりわけ、天と地を駆ける趣がある。

   天地の涯を結びて花野かな

そして、星、天狼星である。

   天狼や太平洋に咳ひとつ

   天狼や眼澄ませば心また

   櫂あらば天狼めざし漕ぎゐでむ

   天狼や老の美学のありにける

 さらに、

   八つ手咲く師の深きこゑ星のこゑ

ここでの「師のこゑ」とはたぶん俳句の神のような存在のことではなかろうか。

俳諧的と思われる句もある。

   安倍川餅(あべかわ)の黄粉も飴も子規忌かな

   端渓の海を色なき風わたる

   微笑みは返すものです大嚏(おおくさめ)

   よろこびもかなしみもなく秋の雲

   天上も天下もつつみ大師粥

 自在とさえ思える句の数々にいささか脱帽気味である。こうしてあれやこれやを包み込んでくれる気がしてくるから不思議だ。

  そして、最後にほほえみ返してくれるのである。

   秋風やほほゑむやうに歳重ね

   枯蟷螂なれどほほゑみありにけり 

句集『光のうつは』vol.2

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2013年7月22日

甘口でコンニチハ!ゲスト・ピーコ氏・・・

ゲスト・ピーコ氏vol.1

 本日、午後、佐高信甘口でコンイチハ!の担当スタッフ松本の体調すぐれず、急遽代打に愚生が立つことになった。というわけで、山の上ホテルに出かけた。

今日のゲストはピーコ氏。

参議院選挙が終わったばかりで、当然ながら、その話になるとイヤだな~というピーコ氏の牽制球をもろともせず、佐高氏は、当然のごとく選挙の話から入ってしまった。

その後は、現在の日本の有り様を縦横に語り、かつ最後には俳句について触れるという配慮もいただいて、何とか代打の役目を終えた。

対談の終わり頃にはピーコさんに会うべく江戸時代文化に詳しく、連句もやられる田中優子氏が立ち寄られた。

2年前ほどだったろうか、現代俳句協会でも江戸俳諧について講演をされたような記憶が甦ってきた。

佐高氏の新刊↓

佐高氏の新刊vol.2

 

 今日の編集部、林編集長は、9月号・佐藤麻績「私の一冊」の撮影のために朝から直行している。

ゲスト・ピーコ氏vol.2

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2013年7月22日

第4回田中裕明授賞式・・・

第4回田中裕明授賞式vol.1

 昨日は第4回田中裕明賞授賞式が、東京・小石川後楽園涵徳亭で行われたので、編集長代理で出席した。

今回に受賞は津川絵理子『はじまりの樹』。田中裕明賞らしく若い俳人たちが多く駆けつけた。

賞は田中裕明の享年である45歳以下が対象である。

愚生などは、むしろ若い人たちの毒気におかされる感じ?

津川絵理子『はじまりの樹』は、先に第一回星野立子賞を受賞。

津川絵理子氏は弊社北斗賞の選考委員でもあり、かつ第30回俳人協会新人賞は『和音』(小社刊)で受賞されている。

ことのほか喜ばしい。

現在「南風」副代表でもあり、高齢化による指導者不足を嘆いている俳壇では、「南風」編集長・村上鞆彦ともども結社の次代を担うであろう若き指導者としても今後が期待されているのである。

愚生にとって「南風」といえば、18~20歳を京都で過ごした頃、、句会の先輩俳人からしきりに聞かされていた名が、当時の「南風」主宰・山口草堂であり、俊秀の鷲谷七菜子だった。当時鷲谷七菜子は句集『銃身』(1969年)を出したばかりのころである。

     行きづりの銃身の艶猟夫の眼    七菜子

 田中裕明賞応募の句集は、全部で七冊、津川絵理子『はじまりの樹』、神野紗希『光まみれの蜂』、宮本佳世乃『鳥飛ぶ仕組み』、堀本裕樹『熊野曼荼羅』、高山れおな『俳諧曾我』、山田露結『ホーム・スウィート・ホーム』、御仲虫『関揺れる』。どの句集も受賞してもおかしくないラインナップだ。

 いずれ詳細はふらんす堂から冊子として上木されるという。

 来賓には裕明夫人・森賀まりさんとともにちひろ(長女)、あさき(次女)さん。名を合わせると「ひろあき」がしのばれる。

    悉く全集にあり衣被         裕明

    食べ終へて大きな鉢や衣被   絵理子 

若い俳人たちに囲まれて↓

若い俳人たちに囲まれてvol.1

閑話休題・・・。

授賞式に出席する前に、恵比寿の川合玉堂生誕140年特別展・山種美術館を観た。

川合玉堂と山種美術館の創立者山﨑種二には親交があり、所蔵は70点を超えているという。今回は全点の陳列(会期中に展示替えあり)だという。

玉堂には俳句も短歌もある。奥多摩にある玉堂美術館にも足を運んだこともあるが、愚生の好みからいえば、山種美術館の所蔵といえば、やはり速水御舟『炎舞』である。その速水御舟ー日本美術の精鋭たちー展は来る8月10日~10月14日。楽しみ・・・

第4回田中裕明授賞式vol.2

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2013年7月19日

大里えつを句集『兀兀』・・・

句集『兀兀』vol.1

 句集名は,以下の句から・・

     兀兀と闇煮凝はすぐ溶くる    えつを

 著者・大里えつをは本名悦夫、1943(昭和18)年に福岡県山田市(現・嘉麻市)生まれ。

 99(平成11)年に作句を開始、野見山ひふみ、西村蓬頭に師事して、現在「菜殻火」編集長を務めている。

 序文は、野見山ひふみ「菜殻火」主宰が、愛情溢れる、今後を期待するべき作家として寄せている。

句集名「兀兀」は「こつこつ」と読むのだろうが、句では続けて「闇」と措辞したところに作者は思うところがあるらしい。

 こつこつと働く、こつこつと貯めるなどのほかに、「兀」には、字のごとく、高くて上が平らなこと、また禿げ山、さらには刑罰としての足を切るということや動かず安らかなという意も含まれているらしい。広いと言えばさまざまな愚生では想像もつかないさまざまなことの含みが生まれてくる闇なのである。

 その言葉の面白さに魅かれて、捨て難い句として句集名にまでしたのだから、作者の愛着のほどが知られる。

 野見山朱鳥・ひふみの生命諷詠の系譜にさらに別の新たな句境が開かれるのであろうか。

     死はいつも人のことなりしやぼん玉

     梅雨に入る三越試着室より手

     ヨコバイを栞つてゐたる歎異抄

     花時の垜に震ふ甲矢乙矢

     あなぐまに死ぬふり人間に聞こえぬふり

  いずれも句にも着眼の面白さが宿っている。そのことを序文では、ひふみ師に「新しい」と評されていたのであろうか。

 ともあれ、最後に捨てがたい愛妻句を以下にあげておきたい。

     おほかたは妻に理のある蕪汁

     妻少し粧うてをり花火の夜

     三界に家ある妻の茄子漬け  

ヒルガオ↓

ヒルガオvol.3

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2013年7月19日

「俳句界」8月号出来・・・

「俳句界」8月号出来vol.1

 本誌8月号(7月25日発売予定)の見本が印刷所から届いた。

好評の別冊付録「俳句ダイアリー・秋」が付いている。

特集は「戦争と敗戦体験~俳人たちの記憶」。

執筆者はいずれもアジア・太平洋戦争の体験者によるものだ。

戦場であれ、いわゆる銃後であれ、その体験ゆえの切実さは十二分に読者に伝わると思う。

執筆陣は、後藤比奈夫、和田悟朗、小原啄葉、伊丹三樹彦、花谷和子、野見山ひふみ、木田千女、松山足羽の先生方。

愚生曰く・・・。

  「 八月はいまもなお我国においては特別な月である。とりわけ、戦

 争体験した人たちにはなおさらであろう。特集『戦争と敗戦体験―

 俳人ちの記憶』は、いずれも胸を撃たずにはおかない切実な想い

 に満たれている。その想いは、同時に、私たちの未来の社会がど

 うあるべかを問うているようにも思えた」。

さらなる特集は「怪奇現象・ホラーを詠む」。総論はさきに『怖い俳句』を出版した倉阪鬼一郎氏、知る人ぞ知るホラー小説家である。

・俳句界NOWは轡田幸子(「春郊」主宰)。

・セレクション結社は「晶」(主宰・長嶺千晶)。

・私の一冊は、鈴木太郎(「雲取」主宰)の森澄雄『花眼』。

・佐高信の甘口でコンイチハ!は、山口香(元女子柔道選手)。

・特別作品21句は大牧広、古賀雪江、西池冬扇。

・大人のエッセイは、「真夏の夜の夢」で、有栖川有栖、ふかわりょう、金原瑞人、小池昌代。

・魅惑の俳人・和知喜八

この他にも、好評の連載「恋衣」(黛まどか・わたせせいぞう)、「牡丹と怒濤ー加藤楸邨伝」(石寒太)、ヴァーサス批評」(坂口昌弘)、「巻頭句のゆくえ」(岸本尚毅)、「筝漏亭日常」(矢島康吉)などなど。

・40歳以下対象の「俳句の未来人」は、中内亮玄と池田瑠那。

8月号も興趣満載である。定期購読の方々、また書店店頭にて手に取って下さる読者の皆様、よろしくお願いいたします。

アべリア↓

アべリアvol.2

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2013年7月16日

梅村すみを句集『欠伸』・・・

句集『欠伸』vol.1

 『欠伸』は梅村すみを氏の『灘』『冬麗』に次ぐ第三句集。平成13年~24年までの句業が収められている。

句集「あとがき」によると師・能村登四郎を失ってからの歳月、約12年を閲している。

句集名『欠伸』は集中の、

   欠伸してさて何をせむ小春凪     すみを

の句からと思われるが、「あまり深い意味はない。集中に欠伸の句はあるけれど、その句にこだわりは無い。欠伸の出る時のような肩の力の抜けた自然体になんとなく憧れを覚えていたから。ただそれだけのこと」(「あとがき」)と言う。

著者は、大正15年生まれ、だから87歳。山口県生まれ。現在宇部市にお住まいで本名は、純郎。「沖」同人にして、俳人協会幹事。

句集には、能村登四郎師を思う句、さらに妻をほほえましく詠んだ句、また、お酒が好きな御仁らしく、酒に関するする句など、自在な境地を思わせるが、さすがに師への追慕は心をうつ。

   寒月や師に滄浪の句のありし

   師の忌来てむらさき淡し花樗

   飄々の師の歩を思ふ花野かな

   登四郎亡しぬすびと萩は実となりて

   師の句碑へ天降るさくら紅葉かな

   かつて師と訪めし深吉野草紅葉

      国東

   師の句碑の天蓋となれ薄紅葉

   師の好みし花の一つやほたるぶくろ

 妻を詠んだ句もどことなく温かみのあるものばかり。きっと夫唱婦随なのではなかろうか。

   降り立ちて軽き二三歩夫婦鶴

   なにゆゑの妻の不機嫌捩り花

   妻の掌にありて折れ葱にほひけり

   とんちんかんな妻の返事や日の盛

   霜の朝妻なんとなく若く見ゆ

   向かうから来るは妻らし街小春

   スイートピー妻より欠伸もらひけり

   昼寝妻ちよつと跨いで通りけり

巻尾の酒の句にも趣がある。

  酒の句のめつきり減りし年送る

  冷やされてスモーク壜の吟醸酒

  泡盛をオンザロックに夏の月

  炬燵酒肴はそこらのものでよし

  ワイングラス磨いて秋を深めけり

  一合の酒にて足らふちやんちやんこ

いずれも、著者の幸せそうな顔が思い浮かべられる酒にまつわる句だ。

ともあれ、集中の感銘深い秀吟を最後にあげさせていただきたい。

  蚊を打つてわが痩せ脛をいとしめり

  雪だるま星降る夜には歩くやも

  日々好日日々是余生花飄

  鶴唳や残月凍つるあたりより

シンチジリ↓

シンチジリvol.3

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2013年7月12日

三東有紀と娘・・・

三東有紀と娘vol.1

 本日、三東有紀が来たる8月からの産休・育休明け前の顔見せで、五ヶ月になったという優姫(まさき)ちゃんを伴って来た。

 まったく泣くこともなく、社員のみんなに抱きまわされていたのが驚きとともに感心の的だった。

 母子ともに健やかなところが実によかった。

 彼女の産休・育休明けまでは、愚生も頑張らなければ・・などと殊勝にも思っていたが、完全に履行とは行かないところは少し残念・・・。それでも、有力なスタッフが戻ってくるので、一安心というところだ。

 今日の編集部、8月号校了だった今週は、一応みなさん早いご帰宅・・・

15日(月)の海の日は「海」(高橋悦男主宰)創刊30周年記念祝賀会がある。林編集長が出席する予定。

 サルスベリ↓

サルスベリvol.2

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2013年7月11日

北田傀子句集『傀子二集』・・・

句集『傀子二集』vol.1

 『傀子二集』(かいじにしゅう)の著者・北田傀子は、1923(大正12)年、山口県生まれ、本年90歳を迎えている。

現在「草原」を発行する随句社社主。本名、茂(しげる)。

かつて、荻原井泉水「層雲」では、北田千秋子を名乗り活躍した。

手元の『層雲自由律90年作品史』からその作品を抽出する。

    焼跡を掘りおこす鍬こそは焼残り     千秋子(昭和21年)

    買いたきもの靴蝙蝠傘植物辞典春の日     (昭和22年)

    満場一致スト突入風の中枯木のように手をあげたところ (昭和23年)

    行員の一人が弁証法をよんでいるのも夏の日暑し (昭和24年)

当時、敗戦直後の時代背景を反映してあまりある句だが、ほぼ同時期の他の俳人の作品も興味深い句ばかりだ。例えば、

    たたかいは終わった秋へ撒くもの買いにゆく   木村緑平(昭和20年)

    ひとり戦死ひとり徴用ひとり虫聴く         井上一二( 〃 )

    雪にとどいて配給のこれは人を焼く薪(叔母死す) 荻原井泉水( 〃)

    無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ     橋本夢道(昭和21年)

    なにもかもなくした手に四まいの爆死証明     松尾あつゆき(  〃 )

    雨がもる ちがった音がもる             池原魚眠洞(昭和22年)

    目撃者一疋の蝿が出てゆく              芹田鳳車(昭和23年)

    からすと昼月とこの国の子供愛にうえる   近木圭之介(昭和24年)

 北田傀子には、長律の句を詠んでいた時期があったことを知るのである。そして、また、解説も推薦文もない、じつにシンプルな装いの本句集の「あとがき」には、自嘲気味ともおもえるが、じつは、いささかの矜持をしのばせた北田傀子の宣明をうかがうことができる。それには、以下のようにしたためられている。

   この世界で孤立状態にある自分だから、鬼の子でそれに人偏をつけて「人 

  間のなかの鬼の子」ということである。(中略)

   ところで「鬼子」は中国人が日本人を蔑視して言うことばらしいのだが、わ

  たしは日本人のはしくれだから甘受しておく。

 ともあれ、「随句」の理念にまで到達し、かつ、自由律俳句陣営の貴重なテキストの刊行であるがゆえに、わたしたち後続の世代には、じつに多くを学ぶことができる作品として、眼前にもたらされたことを喜びたい。

 最後になってしまったが、多くの印象に残った句のなかからいくつかを以下に上げさせていただきたい。

    老人の影で石段を上っていく       傀子

    呆けミスを謝る声がだせない

    老々介護も春のにぎわい

    思い出した名月の窓をあける

    切った爪をつまむ爪がない

    あたたかし字のない墓碑も洗う

    呼んでも開いてほしいまぶたは動くだけ

    やがて八十七よだれも涙も勝手にでる

    今日も開かない目の涙拭いてやる

    遺骨と並んで死人の笑顔

    老いては歌なし恋なし

    死ぬまでは生きるしかない句作り 

オシロイバナ↓

オシロイバナvol.2

閑話休題・・・

読売新聞今日の朝刊「編集手帳」に 吉田昌郎元福島第一原子力発電所所長の死を悼む記事のなかで、長谷川櫂の句「山哭(な)くといふ季語よあれ原発忌」に触れて、編集子は「長谷川さんの造語であるらしい『原発忌』という言葉が、悲しくもこれほど胸に迫る人はいない」と書かれていたが、その胸にせまることはその通りだとして、「原発忌」という造語が「長谷川さんのものらしい」というのは明らかに認識違いであろう。

3.11以後、「原発忌」という言葉自身をめぐってもいくつかの賛否の意見がいわゆる「俳壇」では交わされていたが、それはたぶん「原爆忌」から得た想であって、それ以上でもそれ以下でもないというのが実情ではなかったろうか。それゆえ、俳人の幾人か、かなりの人は、いち早く「原発忌」を詠んだはずだ。

あえて、蛇足をいえば、この句で長谷川櫂の表明したかったのは「山哭く」である。こ「山哭く」というあらたな季語が創出されてもいいではないかとうのが主眼だと思う。

ヘクソカズラ↓

ヘクソカズラvol.3

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2013年7月 9日

浅川走帆句集『朴の花』・・・

浅川走帆句集vol.1

 句集名は「あとがき」によると、自らが住職をつとめる「秋月竹地蔵院内の朴の木に因る」ものだそうだが、集中にも「朴の花」を詠んだ句がある。

    のぼる風ばかりが見えて朴の花     走帆

    花朴に神より下りて来たりけり

 帯の文と句の抄出は星野椿(「玉藻」主宰)、栞文には星野高士(「玉藻」副主宰)が、愛情あふれる筆さばきで著者・浅川走帆の句と人柄を語ってあますところがない。

また、選句は伊藤通明(「白桃」主宰)がされたという。

少し横道にそれたような感じになるかも知れないが、次の句、

   無尽蔵なる大阿蘇の秋晴よ

   顔だけが寒がつてゐるだけのこと

 などには、星野高士氏への挨拶も含まれているような気さえするのだ。

 というのも、星野氏には『無尽蔵』という句集も、また『顔』という句集もあり、九州男児・浅川走帆をいくどもたずねられたようだし、また、鎌倉にも浅川氏はたびたび訪れているようである。

星野高士氏の『顔』の句は、

    乾鮭や顔半分は無表情      高士

 その無表情なる顔半分もただ、「寒がつてゐるだけのこと」と思えば、おのずと俳諧的な気分も生じてこようというもの、趣は深くなる。

 ともあれ、最後に、印象に残った多くの句から、少しばかりあげておきたい。

   宛名などあらう筈なき落し文

   移りたる蝉は一から鳴きはじむ

   立子忌の大きな時計古時計

   百幹の竹の朧にかぐや姫

   水引の花のどこかで結びたく

   四人とは華やぐ家族シクラメン

   下知ありしかに落ちてゐし榠樝かな

   簡単にいふが出水の後始末

浅川走帆句集vol.2

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2013年7月 8日

松崎鉄之介氏インタビュー

松崎鉄之介氏インタビューvol.1

 本誌9月号特集「高齢化! 結社存続の危機を考える」(仮題)のなかで、「濱」終刊の決断に至る経過を、松崎鉄之介主宰にお聞きするべく、編集長に同行取材した。

詳細については、9月号をお読みいただくとして、松崎氏自身を含む「濱」の同人の高齢化、発行事務所の経費の赤字が年間約300万円あったことなどざっくばらんにお話いただいた。

「濱」は1946(昭和21)年に大野林火により創刊され、82年8月林火没後、松崎氏が主宰を継承した。

林火が「俳句は『私』に発する、こころの記録なるがゆえに抒情」という理念をかかげ、創生期の近藤一鴻、猿橋統流子、また目迫秩父、野澤節子、宮津昭彦、中戸川朝人、木付沢麦青、山崎加賀流、大串章、太田土男、佐野美智、上野さち子、関森勝夫、など多くの俊秀が育った。

松崎鉄之介氏は、俳人協会設立と同時に、理事に就任、俳句文学館の建設に寄与し、俳人協会会長もつとめた。1918年(大正7)、横浜生まれで、94歳。

8月21日は林火忌、奇しくも8月をもって廃刊となる。

村越化石の作品が発表され続ける間は、「濱」を出し続けることができたという松崎氏の言葉にはいくばくかの安堵と責任を果たせたという満足感があった。

松崎鉄之介氏インタビューvol.2

閑話休題・・

実は私と編集長はインタビューの約束の時間までには行けたのだが、家を間違えて、さらに電話で、「いま、先生の玄関前にいます」と電話で確認したものだから、炎天下、松崎氏自宅の前で足の悪い先生を逆に待たせてしまった。

どうやら、別の家の前で待っていたらしいことに気づいて、付近を捜したら、姿を見つけた私たちに「いったい、どこにいるんだ!」と一喝、ひたすら申し訳ないと低頭・・・。

一度に汗が噴出した。

ムクゲ↓

ムクゲvol.3

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2013年7月 4日

村上護氏通夜・・・

村上護氏の通夜vol.2

 昨夜、7月3日(水)、日暮里・本行寺で行われた村上護氏の通夜に行った。

本誌の企画で、山頭火のインタビューを6月25日(火)にご自宅で行う予定であったが、当日の朝に延期してほしいとの奥様からの電話(前日の確認ではオーケーだった)。まさかと思いきや6月29日(土)には訃報。膵臓がんにて死去、享年71だった。

その通夜の会場で、愚生と同じ同人誌「豈」同人、「ぶるうまりん」代表の須藤徹氏の訃報を受けた。こちらは食道がん、享年66。かつて現代俳句協会青年部では一緒に仕事をした仲間だった。 

今は、ともにご冥福を祈るのみ・・・。

  ねぢればな習ひ性にてへんこつを   護

  百日紅いつに治まる原子の火

  夏風邪や手足遠くにあるごとく    徹

  たましいをけりつつ還る冬銀河    

福島泰樹氏↓

福島泰樹氏vol.2

寺山修司記念館裏のフキ↓

寺山修司記念館裏のフキvol.3

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2013年7月 2日

特選句に寄せて・・・

特選句に寄せてvol.1

 編集部あてにお便りをいただき、合わせて写真もお送りいただいた。

このブログもご覧になっているらしい。そのブログへのコメントに、ユリノキの花の写真と紫陽花のなかに蛙が隠れている写真を添えていただいた。

ユリノキは、5月末のころの柏市国立がん研究センターの近くで偶然見つけられた木だそうである。

便りの主は7月号雑詠欄(有馬朗人選)の特選に見事入選された方である。

それが次の句である。

  南極星さがす人影丘冴ゆる      大塚理枝子

有馬朗人先生は以下のようにコメントされている。

  南極星は古代中国で、人の寿命を司るとされた星で、老人性とか寿星とか呼ばれる。冬に南天低く現れわれる。冬の季語として良い星である。現れれば治安が続き、出なければ、戦乱があるという。またこの星に福寿を祈る風習がある。その星を探す人影を冴ゆる夜に見つけたところが面白い。

ユリノキの花↓

ユリノキの花vol.2

ユリノキの花vol.3

また、「東京四季」という詩の雑誌も同封されていたが、それには、布良星(めらぼし)と題された詩篇もあった。

ハマヒルガオ↓

ハマヒルガオvol.6

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2013年7月 1日

「たかんな」20周年記念祝賀会・・・

藤木倶子氏vol.1

 藤木倶子氏↑

 6月29日(土)~30日(日)、青森・八戸プラザホテルに於いて、「たんかんな」創刊20周年記念大会・藤木倶子句集『清韻』出版記念祝賀会が行われた。

記念講演は、小川軽舟(「鷹」主宰)で「俳句発見」と題して行われた。

戦後世代、団塊世代、新人類世代、団塊ジュニア世代など、世代を区切りながら、その時代にバイブル的な俳句の著作を紹介しながらの、明解で、清しい講演だった。

小川軽舟氏↓

小川軽舟氏vol.2

 大会では、吉田千嘉子氏があらたに「たかんな」副主宰になられたことも発表された。

翌日は、Aは八戸海岸・さくらんぼ狩、B淋代海岸・寺山修司紀念館コースに分かれて吟行。

愚生のお世話になったBコースの山口青邨「みちのくの淋代(さびしろ)の浜若布寄す」は、文字通り砂浜に松林のみの海岸だったが、折りしも、山背の風と出合い海霧(じり)の風景に包まれた。

海霧の淋代の浜↓

海霧の淋代の浜vol.3

続けて、太平洋無着陸飛行(1931年、バックボーンとハーンドンの2人)の浜をみて、寺山修司記念館に寄って、午後3時ころ八戸駅解散となった。

ちなみに愚生が祝賀会でささげた句は、倶子氏の師・小林康治の句「たかんなの光りて竹となりにけり」に想を得て、

   藤の木のともに清韻の竹となれり    恒行  

寺山修司文学碑↓

寺山修司文学碑vol.5

 愚生はいつもの悪い癖で、でたとこ勝負の列車指定席を確保しておかなかったので、八戸から東京までの直通新幹線は午後7時まであきらめざるを得なかった。

それでも、行けるところまで行くつもりで盛岡、仙台をめざしたのだった。

ハマナス↓

ハマナスvol.7

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