2013年10月のブログ記事

2013年10月27日

第50回現代俳句全国大会・・・

第50回現代俳句vol.1

左より宇多喜代子・近恵・山田征司・大竹照子・星野昌彦・照井翠・宮坂静生各氏↑

 

10月26日(土)、東京上野・東天紅で、第50回全国俳句大会が開催された。

当日は、台風27号、28号の直撃も心配されていたが、運よく午後には晴れ間も見える天候となり、無事開催された。

記念すべき第50回大会の実行委員長は加藤瑠璃子氏。また、第31回現代俳句新人賞・近恵、第33回現代俳句評論賞・山田征司、第14会年度作品賞・大竹照子、第68回現代俳句協会賞・星野昌彦、同特別賞・照井翠各氏の表彰が行なわれた。

大会作品の全国大会三賞作品は、

     ・大会賞  雑煮食うも骨をひろうも箸の国   大分県 河野輝暉

           花茣蓙に毀さぬように母を置く   熊本県 北野昭夫

 ・毎日新聞社賞 いるだけでいい父がいる夏座敷   埼玉県 尾堤輝義

なお、大会司会は、若き神野紗希氏。

柳田邦男氏↓

柳田邦男氏vol.2

記念講演は「深い深い言葉の源を探して」と題して柳田邦男氏。氏は折笠美秋「微笑が妻の慟哭雪しんしん」や高野ムツオ「春光の泥ことごとく死者の声」などを引きながら、「いのちの危機とことば」「いのちを映す言葉」のよってきたるところを説き、アウシュビッツから生還したフランクル「夜の霧」から「それでも人生にイエスと言う」で人生を肯定して生き抜くことを語った。

ドナルド・キーン氏↓

ドナルド・キーン氏

また、ドナルド・キーン氏が現代俳句大賞受賞式に前回はアメリカにいて出席出来なかったからとわざわざ挨拶に見えた。

次回の大会は名古屋で行なわれる予定、実行委員理事の永井多美子氏がその成功への協力を訴えて閉会した。

中央・永井江美子氏↓

中央・永井江美子氏

5時からの懇親会、さらに愚生は久しぶりに二次会まで、宇多喜代子、高野ムツオ、照井翠、新人賞の近恵、さらに青年部部の橋本直、田島健一、神野紗希各氏などとお付き合いし、久しぶりに年甲斐もなく午前様となった。

第50回現代俳句vol.2

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2013年10月21日

第8回ロマネコンティ俳句ソシエテ全国大会川越・・・

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挨拶するロマネコンティ代表・播磨穹鷹↑

10月20日(日)~21日(月)、川越プリンスホテルに於て、第8回ロマネコンティ俳句ソシエテ全国俳句大会が開催された。

第一日目は国際交流センター「クラッセ川越」において、桑原三郎(「犀」代表・埼玉現代俳句協会会長)と高橋比呂子(ロマネコンテ・豈)各氏と大井恒行の連続講演の後、夕刻より、川越プリンスホテルに会場を移して懇親会が行なわれた。

当日は川越祭であったが、生憎の雨、それでも、街中は祭の屋台と傘の花が咲いて多勢の人出だった。

翌日21日は、川越吟行が行なわれるとの由。北海道から九州まで、総勢40名の会員の熱気で会場は溢れかえっていた。

講演の桑原三郎氏↓

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 高橋比呂子氏↓

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 講演のテーマは、桑原三郎氏「赤尾兜子と髙柳重信」、高橋比呂子氏「俳句における寓意(アレゴリー)」、大井恒行は偶然にも桑原氏と重なったが個人的な思い出話しで「赤尾兜子『渦』とわたし」であった。

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2013年10月10日

髙勢祥子句集『昨日触れたる』・・・

句集『昨日触れたる』vol.1

 句集名は、次の句から、

    くちなはや昨日触れたる所へと     祥子

昨年、弊社第3回北斗賞受賞作「火の粉」を第一章とし基に構成された一集である。

帯文は詩人の八木幹夫。「季語に迎合しない/知性とユーモアの句集だ」と言挙げしている。

序文は「街」主宰・今井聖。

祥子さんは、平成十一年よりは国文学者で俳人である復本一郎さんの薫陶を受けてきた。俳句古典への認識も言ってみれば筋金入りなのである」とし、さらに「内容としては感覚と季語の調和の問題。いずれも危うくも絶妙なバランスが、どうか統一の取れた堅実と言われる方向に収斂していかないように祈るばかりである。それは『芸』を掲げて『詩』を見失う老練な俳人への第一歩となることを意味するからである」と期待が大きいばかりに注文をつけることを忘れていない。

しかし、この句集を読む限りでは、その今井聖の心配も老婆心ながらというに等しいと思われる。

句集名ともなった「昨日触れたる所へ」だが、著者「あとがき」には、「庭に花が咲くとういうことも、さまざまな社会の事象も、重さに関係なく同じように自分の感覚で受けとめたい。触れたと実感したい。そんな思いを込めました」とあって、いかばかりか純情さのウラミを宿しているが・・・。 

だが、今井聖はたぶんこの句においては、「くちなはの」の本意を止揚している「くちなはの」であると、喝破するのであろう。が、この句には、それなりの年齢、人生を経てきた人ならばたぶん、良い意味での俗読みも生じるはずであろう。それは「昨日触れたる所へと」の神秘を言葉が負っているからだ。むしろその方が、この句における、いわゆる西洋的ポエジーでない詩性を感じさせられるはずだから。

ならば、著者が純情をもって記したくだりは、それはそれとして読んでおくほうが奥行きが生じるというものであろう。庭に花ではない・・・くちなはを配した由縁である。

期待の新人である。

感銘句を上げさせていただく。

    錆びてゆくものの味して花の雨

    花冷えや誰にも触れぬ手を洗ふ

    火の粉かと思ふ小雪の降り始む

    空き箱のまま持ち歩く春の夢

    二月尽走るとは息捨つること

    わたくしはどんどん洗ふ燕帰る

ザクロ↓

ザクロvol.3

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2013年10月 8日

深夜叢書社創立50年と愼爾さんを励ます会・・・

深夜叢書社創立50年と愼爾さんを励ます会vol.1

 10月4日(金)、東京・如水会館に於て、「深夜叢書社創立50年と愼爾さんを励ます会」が、瀬戸内寂聴氏の発起で開催された。

齋藤愼爾氏は、本誌「俳句界」でも長い間、選者や特集での執筆をいただきお世話になった方である。

「たった一人の出版社」を50年。その間、じつに500点近くの出版、それも各作家にとってはデビュー作とでもいっていい本を多く手がけてきた。いわば、書き手の才能を捜し続けてきた出版社である。

しかし、吉本隆明、春日井建、大岡昇平、中井英夫など、俳人では高柳重信、八田木枯、楠本憲吉、中尾寿美子、秋沢猛、寺山修司、火渡周平、堀井春一郎などすでに三分の二くらいが幽冥界にあると愼爾氏は挨拶した。

ともあれ、文芸界での交遊を反映して盛会で150名ほどの参加であったろうか。

挨拶には、瀬戸内寂聴、五木寛之、小嵐九八郎、富士真奈美、鷹羽狩行、有馬朗人、宗田安正、上野千鶴子、加藤和也など多くの著名人がたった。

愚生も、かつてお会いした、何十年ぶりの方々の幾人かにあうことができて、およそみな白髪、禿頭になって感慨ひとしおであった。

深夜叢書社創立50年と愼爾さんを励ます会vol.2

閑話休題

念願の福島菊次郎展を見てきました。

開催期間もまだ残っています。是非ご覧下さい。

肯定できない理不尽さがそこに写し撮られています。

福島菊次郎は、愚生と同じ山口県出身つながりです。

キンモクセイ↓

キンモクセイvol.4

今日の編集部は11月号校了で~す。

斉藤さんを励ます会vol.3

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2013年10月 4日

写真展「昭和」・・・

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 10月2日(水)~7日(月)、東京・日本橋三越本店新館7階ギャラリーで、写真展「昭和」が開催中である。

「写真家が捉えた時代の一瞬」のキャッチコピーがある。チラシの「銀ブラの復活」(昭和25年)は林忠彦。

実は、本誌の「文字のないエッセイ」などでお世話になっている、林義勝氏に招待券をいただいたので出かけた。

林忠彦は、義勝氏の父であり、銀座のバー・ルパンの「太宰治」の椅子に腰掛けた写真でおなじみである。今回は昭和の風景写真が中心なので掲載されてなかった。また(初めて知ったのだが)、林忠彦は山口県の出身で「周南市美術博物館には、周南市出身ということで、写真の所蔵も多いらしい。

同郷のよしみで是非一度行きたいものだ。

写真展「昭和」のほうだが、他には、土門拳、木村伊兵衛、濱谷浩、長野重一、田沼武能、など、戦前・戦後・高度成長期の激動を写しとった、愚生などには懐かしい風景がたっぷり。同時に安保闘争や農村、漁村などの風景の向こうに置き去られた人間の姿も少しはうかがえたが、その意味では、ほぼ同じ時代の特集としては、かつて「太陽」で創刊26周年記念の「昭和の記憶」の写真のほうが生々しいものが多かったとように思う。これも時代の趨勢、昭和という時代の見せ方の違いなのであろうか。

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 「太陽」のそれには石川文洋、菊池俊吉、土門拳などの戦争や福島菊次郎の原爆や桑原史成の水俣が収められていた。もちろん林忠彦も。

 あとひとつ、会場内でフィルムアート社の記念行事と思われる雑誌で当時活躍の12人の写真家のドキュメント(勅使河原宏監督)を流していた(写真家の工房を覗きみた感じがした)。

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2013年10月 1日

長嶺千晶句集『雁の雫』・・・

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 『雁の雫』集名の由来について、著者は、

  第五句集『雁の雫』は、蕪栗沼での連作を集名とした。そこは仙台の北にある雁の飛来地 

 で、秋から冬にかけて、何万羽の雁が夜毎の塒騒ぎをし、翌日は夜明けとともに飛び立ってい

 く。雁は家族愛が強い鳥という。父鳥を先頭に子供達をはさんで、母鳥がしんがりを守り列を

 作る。(中略)

   しかし、三・一一以後、雁は変わらず飛来しているとの知らせに安堵しつつも、私の蕪栗沼通

  い遠のいてしまった。両親の看取りが始まったのである。(中略)『雁の雫』は亡き父母へ

  の鎮魂ある。(中略)そんな哀しみと困難の中にあって、多くの方々が励まし支えてくださっ

  た。そのご恩に今も胸が熱くなる。

 と、記している。ここ数年の切実な思いが吐露された件りだが、現在は、同人誌「晶」という家族を得て、これからも「生身の己れを俳句に詠み続けることで、すべてを乗り越えてゆこうと思う」と宣明している。見事な心延えであろう。

 句集一巻は「初夢」「ちちはは」「花筵」「雁の雫」の四章からなっていて、たぶん編年順と思われるが、句風は変遷している。

 巻頭句は、

   初夢の家族のかごめかごめかな

 掲句と対のように置かれた次の句は、

   日脚伸ぶ嘴さし交はす籠の鳥

童歌に伝承されたそれが、「籠の鳥」の悲運を暗示していることなどは、すでに長嶺千晶は承知のことであろう。ならば、置かれた状況はいささかの憂鬱を含まないではない。

初夢が逆夢に、あるいは、「嘴さし交はす」むつまじさも籠の鳥であれば、必ずしも幸せな感じとは距離があろう。それが、詩歌を志したものの憂いであれば、それも止むを得ない、と思われる。

 3.11には、毎年、句が捧げられている。

      東日本大震災三・一・一

   芽吹けとて声にならざる祈りかな

     三・一・一より一年

   耐へきたるもの金縷梅の空ふるへ

    三・一・一より二年

   青空を死者に残して梅ひらく

 これらも、長嶺千晶の想いなのである。句風の変遷は最後の章の連作「雁の雫」にあきらかだが、

中では、愚生は次の句を挙げてみたい。

   朝靄や幽かに零れ雁のこゑ

 生意気を言うようだが、表現が、いわゆる俳句的な風景を描きだすのに無理がなくなってきているというべきか。情はそこに閉じ込められてきているが、それが、巻頭句の少し不安な気分(一見矛盾するようだが、現実的な幸福感による)を乗り越えての結果ということだろう。

 ともあれ、その他、愚生の好みでいくつかの感銘句をあげておきたい。

   水音の落ちゆく先へ蛍かな

   炎昼の鍵穴合はぬ鍵ばかり

   金魚屋の風なまぐさき真昼かな

   銀河依然と蛸壺に眠りたし

   踊りつつ奈落に沈む去年今年

   亡きひとも来よ花筵さざめかせ

   指切の指に傷あり鳥曇   

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