2013年11月20日

橋爪鶴麿『祷りの木』・・・

橋爪鶴麿『祷りの木』vol.1

句集名は次の句から、

   滾るものあり日盛りの祷りの木      鶴麿

その滾るものとは、世の、人間(じんかん)の理不尽さに、過去も現在も滾るのである。そう読める。

もちろん、著者が「あとがき」で記す「まぎれもなく、あの八月六日の広島への原爆投下への思いのこもったものである。それはまた今回の福島での事故への思いともなり、深い鎮魂の情と、自然・人間への畏怖と哀しみの念に満ちた一本の木に擬した」ことももちろん。が、それだけではないものが読者には伝わるのである。そして、この一集は2011年をもってひとつの区切りとして巻を閉じる。

   救いはいつも神の手の内霜柱

   耐うること強いられていて葱きざむ

   異国には長き騒乱風心地

   国敗れし日や夾竹桃猛り咲く

   千羽鶴吊りても寒き羽根拡ぐ

   死を軽しと言いし日ありぬ冬欅

   急くこともなきが急ぎて花の散る

   声に出さぬ祷りの言葉石蕗の花

   新樹光ノート白紙のままに閉ず

   内灘は既に遠い日汗のシャツ 

いくつかの句を上げさせていただいたが、最後に上げた「内灘は」の句は、当然ながら、古沢太穂の「白蓮白シャツ彼我ひるがえり内灘へ」の句を負っていると思われる。石川県内灘の米軍基地闘争を背景にした句で、かの闘争の時代も去り、太穂もいまは亡い。

それでも、滾るものはある。

「『生きるたしかめ』としての内面描写を掲げる橋爪鶴麿の今後も、さらにあるのである。

橋爪鶴麿『祷りの木』vol.2

 閑話休題・・・

私事ながら、愚生は「俳句界」を辞すこととなりましたのので、このブログも今日が最後となります。

弊社のみならず、皆様には大変お世話になりました。お礼申し上げます。

有難うございました。

大井顧問、本当にお世話になりました

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