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    <title>今日の編集部</title>
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    <updated>2012-02-22T05:09:33Z</updated>
    
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    <title>今日は虚子の誕生日・・・</title>
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    <published>2012-02-22T01:37:36Z</published>
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    <summary> 　1874（明治7）年、2月22日に高濱清（虚子）は、愛媛県温泉郡長町新町（現...</summary>
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        <![CDATA[<p><img alt="農工大　題詠句会vol.1202221" src="http://editor.bungak.com/img120222a.jpg" width="540" height="405" class="mt-image-none" style="" /></p>
<p>　1874（明治7）年、2月22日に高濱清（虚子）は、愛媛県温泉郡長町新町（現・松山市湊町）に生まれ、9歳のときに祖母の実家である高濱家を継いだ。1888（明21）年に伊予尋常中学（現・松山東高校）に入学し、河東碧梧桐と同級になり、碧梧桐を介して正岡子規に俳句を教わった。そして、子規から虚子の号をもらったのだ。1893（明26）年、碧梧桐とともに、京都の第三高等学校（現・京都大学）に学んだ。</p>
<p>　虚子と碧梧桐は寝食をともにし、下宿を「虚桐庵」と名付けていた。翌年三高の学科改変によって、二人は仙台の第二高等学校（現・東北大学）に転入することになった。しかし、虚子は中退して、上京子規庵に転がり込む。1891（明28）年、自らの命を長くないと覚悟していた子規は、自らの後継者となるよう虚子に要請する。その要請を断ったのが、いわゆる道灌山事件だ。</p>
<p>　1897（明30）年、虚子は、もともとは碧梧桐の婚約者だった大畠いとと、碧梧桐入院中に親しくなり結婚する。その後、子規の協力もあって、柳原極堂が松山で創刊した「ほとゝぎす」を引き継ぎ、東京に移転さえ、「ほとゝぎす」を俳句だけでなく、和歌、小説などを加えて文芸誌として漱石などの寄稿を受け、部数を伸ばし、みずからも小説に没頭した。</p>
<p>　その後、1910（明43）年、一家は鎌倉に居を移し、以来50年間を過ごすのである。そして、1913（大正２）年、一世を風靡していた碧梧桐に対抗し、俳壇に復帰した。</p>
<p><strong>　　　春風や闘志抱きて丘に立つ</strong>　　　　　虚子</p>
<p>　文字通り、ホトトギス雑詠欄に大正俳句の巨星（前田普羅、渡辺水巴、村上鬼城、原月舟、長谷川かな女、室積徂春、原石鼎、石島雉子郎、原田浜人、長谷川零余子、野村喜舟、飯田蛇笏、野村泊雲、吉岡禅寺洞、青木月斗、高田蝶衣、岡本癖三酔）などを次々に送り出した。</p>
<p>　虚子が没したのは、1959（昭３４）年4月8日、虚子忌といい、椿寿忌という。釈迦の生誕を祝う花まつりの日でもある。</p>
<p>&nbsp;因みに本誌4月号（3月25日発売予定）は「大正100年ー大正時代を彩った俳人」を特集する予定である。</p>
<p><img alt="六本木・智美術館vol.1202222" src="http://editor.bungak.com/img120222b.jpg" width="540" height="405" class="mt-image-none" style="" /></p>]]>
        
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    <title>ほかいびと～伊那の井月～・・・</title>
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    <published>2012-02-21T03:05:14Z</published>
    <updated>2012-02-22T07:53:49Z</updated>

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        <![CDATA[<p><img class="mt-image-none" height="495" alt="ほかいびと井月vol.1202211" src="http://editor.bungak.com/img120221a.jpg" width="350" /></p>
<p>　昨夜（20日）は、「ほかいびと～伊那の井月～」マスコミ向け試写会というのに出かけた。</p>
<p>　東京公開の一般上映開始は3月24日（土）～4月6日（金）、ポレポレ東中野（JR東中野駅側）、上映時間は1時間59分。</p>
<p>&nbsp;試写会では、上映に先立って北村皆雄監督から簡単な挨拶があり、「単なる、伊那賛歌、井月賛歌におわらないようにしたつもり・・」とのことで、その意図は果たされていると思える映画だった。</p>
<p>&nbsp;約2時間の映画は、愚生のような年寄りには、ちときつかったが、退屈もせずに観通せたのは、それだけで、この映画がの力を思うことができよう。</p>
<p>　主演の田中泯の舞踏の力も、映像として、邪魔にならず、よく生かされていたと思う（ただ、紹介パンフに舞踊家・俳優とあったのは残念。愚生の年代にとっては、あくまで舞踏家・・）。音楽は良し。音楽にもくらい愚生だが、一柳慧という名くらいは知っている。字は書家の石川九楊。</p>
<p>　ドキュメント&amp;フィクションという惹句のように、この映画の有り様をよく言い当てていると思った。</p>
<p>　「ほかいびと」とは「寿・祝人」と書くらしい。広辞苑には「乞児」（ほがいびと）－人の門戸に立ち寿言（ほがいごと）を唱えて回る芸人。物もらい。こじき。万葉集「乞食者（ほかいびと）の詠（うた）」とある。</p>
<p>　『井月全集』（全一巻）は、長野県伊那市の「井上井月顕彰会」から復刻増補改訂版（下島薫・高津才次郎編）が出ている。その跋を大正十年十月二日の記をしるして芥川龍之介が書いている。</p>
<p>　巻頭には井月賛の句が虚子他5句が掲げられている。</p>
<p>　　　　<strong>丈高きをとこなりけん木枯に</strong>　　　　　　虚子</p>
<p>　　　　<strong>秋涼し惟然の後に惟然あり</strong>　　　　　　鳴雪</p>
<p>　　　　<strong>露けさを米貰はずに帰られし</strong>　　　　　鼠骨</p>
<p><strong>　　　　空がはれゆき日影さす雲</strong>　　　　　　　碧童</p>
<p>　　　</p>
<p>　映画の場面、場面でも多くの句がちりばめられている。</p>
<p>　<strong>　　降るとまで人には見せて花曇</strong>　　　　　　　井月</p>
<p>　　　<strong>睦じう込合って居る蚕かな</strong></p>
<p><strong>　　　声あらば如何に蚕の起休み</strong></p>
<p><strong>　　　数ならぬ身も招かれて花の宿</strong></p>
<p><strong>　　　根を包む紙を貰ふや花菫</strong></p>
<p><strong>　　　命ぞと云うては掬ふ清水かな</strong></p>
<p><strong>　　　雪車（そり）に乗りしこともありしを笹粽</strong></p>
<p><strong>　　　玉苗や乙女が脛（はぎ）の美しき</strong></p>
<p><strong>　　　よき酒のある噂なり冬の梅</strong></p>
<p><strong>　　　妻持ちしことも有りしを着衣始（きそはじめ）</strong></p>
<p>　辞世は、</p>
<p>　　　<strong>何処やらに隺（たづ）の声きく霞かな</strong></p>
<p>　ともあれ、映画は井月を描きながら、横糸に明治という時代を、暴動をも生んだ秩父、近代と現代を交差させながら、社会が包容力を欠いていく現在にも視線が届いていると思われる仕上がりだった。</p>
<p><img class="mt-image-none" height="405" alt="ほかいびと井月vol.1202212" src="http://editor.bungak.com/img120221b.jpg" width="540" /></p>]]>
        
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    <title>潜入！題詠句会・・・</title>
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    <published>2012-02-20T05:23:09Z</published>
    <updated>2012-02-22T07:55:38Z</updated>

    <summary> 　昨日（2月19日・日）、杉並区勤労福祉会館で行われた筑紫磐井主宰の「題詠句会...</summary>
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        <![CDATA[<p><img class="mt-image-none" height="405" alt="農工大　題詠句会vol.1202201" src="http://editor.bungak.com/img120220a.jpg" width="540" /></p>
<p>　昨日（2月19日・日）、杉並区勤労福祉会館で行われた筑紫磐井主宰の「題詠句会」に行った。これまで、すでに三回行われていたらしいが、会議室の椅子の席数以上（定員）は、お断りの会である。とはいうものの、病に倒れて、欠席される方もいた。</p>
<p>　題詠句会は、もとははといえば、明治の世に、子規が行っていた句会で、まさに、そのときと同じ題で、現在の俳人と勝負させようというもの。当時の句会の出席者の役を振り当てられての小芝居をするのも、その興趣のうちなのである。</p>
<p>　今回の題は「冬川」と「霰」で「霰」の題詠については、なるべく「や」「かな」を使って下さい、という注文もついての、10句持参である。</p>
<p>　句などあまり作らぬ愚生にとっては、一年分にも相当しようかという句数である。しかも、磐井氏はその清記稿のなかに、つまり、「〈発句始〉明治２９年1月3日午後、上根岸８５　、子規催、会スルモノハ、鳴雪、鴎外、瓢亭、漱石、虚子、可全、碧梧桐。第三回運座」という、錚々たるメンバーの句も入っての互選10句を行うのだ。</p>
<p>　後から分ることだが、当時の第三回運座の最高の合計獲得点は子規8点、因みに最低は鴎外の2点だった。句は、今回の句会でも2点が入っているのが（不思議に時代を超えてしまった）、子規の・・</p>
<p>　　<strong>　湖の氷にはぢく霰かな　　　　　　　</strong>子規</p>
<p>　他には、（今回無点も含む）</p>
<p><strong>　　　面白う霰降るなり鉢叩　　　　　　　</strong>虚子</p>
<p><strong>　　　菜畑の次第上がりに霰かな　　</strong>　　碧梧桐</p>
<p>　　　<strong>雨に雪霰となつて寒念仏　　　　</strong>　　漱石</p>
<p>　　<strong>　思いきつて出て立つ門の霰かな　</strong>　　鴎外</p>
<p>　ともあれ、愚生を含む当日題詠の高点句からいくつか紹介しておこう。</p>
<p>　　<strong>アルミ箔しゃらんと切って霰かな</strong>　　　　　美和子</p>
<p>　<strong>　霰まだ霰のかたちかな旗日</strong>　　　　　　　　澄子</p>
<p><strong>　　夜の霰スーツケースの車輪鳴る</strong>　　　　　　瑠那</p>
<p>　　<strong>霰降ることが嬉しき銀座かな</strong>　　　　　　　葉子</p>
<p>　<strong>　落書きの古い言葉や冬の川</strong>　　　　　　　文香</p>
<p>　　<strong>右岸より左岸に人が冬の川　　</strong>　　　　　　磐井</p>
<p><strong>　　枯川や又誰か来て笛を吹く　　</strong>　　　　　　紗希</p>
<p>　　<strong>夕霰ナップザックに葱さして</strong>　　　　　　　　　燐</p>
<p>　<strong>　冬の川そこが地球の切取線　</strong>　　　　　　　冬眞</p>
<p>　<strong>　冬川の土手にカフェーの案内板　</strong>　　　　　心</p>
<p>　　<strong>雪吊りの紐をくぐれる霰かな</strong>　　　　　　　　　美美</p>
<p>　　<strong>冬の川室生の屋根もけむりたり</strong>　　　　　　　夕紀</p>
<p><strong>　　初あられ夕あられかな玉あられ</strong>　　　　　　　恒行</p>
<p>　それにしても、改造社版『俳諧歳時記』（昭和23年刊）で「霰」「冬川」の項をみると、現在の歳時記と違って、それぞれに70句近い例句があるところをみると、相当に詠まれていたということだろう。今、わたしたちの現在では「霰」も、まして「冬川」など、まことに少ない数しか詠まれていない。題詠ででもなければたぶん詠まないだろう。</p>
<p>　もっとも、紛れ込まされていた、虚子や、漱石の句がさすがに高点になることはなかった（やはり、時代の感性はあるようです）。</p>
<p>　最期に、明治43年8月26日、子規宅と、同12月8日の碧梧桐庵の句会資料で、それぞれの役どころを与えられた句評によると、碧梧桐、癖三酔、四方太など、例えば「袴着や寒紅梅の花衣」の句に就いて「寒紅梅の花衣」という調子もしまってよい、とか「また、俳句界にも調子というものがあって、とか調子の上にとか、調子でそれを面白くするとか、句の批評にやたら〈調子〉ということが出てくると、磐井氏は指摘し、〈写生〉などということが一言も発しられていないと報告していた。</p>
<p><img class="mt-image-none" height="405" alt="農工大　題詠句会vol.1202202" src="http://editor.bungak.com/img120220b.jpg" width="540" /></p>]]>
        
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    <title>安吾忌・・・</title>
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    <published>2012-02-17T08:29:56Z</published>
    <updated>2012-02-20T00:52:23Z</updated>

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        <![CDATA[<p><img alt="牡丹園・横尾忠則vol.02171" src="http://editor.bungak.com/img120217a.jpg" width="540" height="405" class="mt-image-none" style="" /></p>
<p>　2月17日は、1995（昭和30）年に、小説家の坂口安吾が亡くなった日。49歳。本名・炳五（へいご）、新潟県新潟市の旧家にして富豪の家に生まれた。13人兄弟の12番目に生まれた。丙午年生まれの五男だから、炳五と名付けられたらしい。</p>
<p>　かつての文壇バー「クラクラ」は安吾の妻、坂口三千代がマダムだった。</p>
<p>　子息の写真家・坂口綱男は1953年生まれだから、小生より5歳下。</p>
<p>ともあれ、檀一雄とおなじく無頼派と呼ばれた作家。</p>
<p>「堕落論」を書いて、時代の寵児となった。</p>
<p>　かの有名な書き出しは、</p>
<p><strong>　　半年のうちに世相は変った。醜（しこ）の御楯（みたて）といで　</strong></p>
<p><strong>　たつ我</strong><strong>は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者立は花　</strong></p>
<p><strong>　と散ったが、</strong><strong>同じ彼等が生き残って闇屋となる。ももとせの命ね</strong></p>
<p><strong>　がはじいつの日か</strong><strong>御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で</strong></p>
<p><strong>　男を見送った女達も</strong><strong>半年</strong><strong>の月日のうちに夫君の位牌にぬかずく　</strong></p>
<p><strong>　ことも事務的になる</strong><strong>ばかりであ</strong><strong>ろうし、やがて新たな面影を胸に</strong></p>
<p><strong>　宿すのも遠い日のことではない。人</strong><strong>間が変ったのではない。人</strong></p>
<p><strong>　間は本来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのこと</strong></p>
<p><strong>　だ。</strong></p>
<p>　こうして、敗戦に打ちひしがれていた多くの日本人は開き直って生きて行く勇気をもらったのかも知れない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　戦後、ヒロポンなどによる薬物中毒でうつ病になったり、一時期は小田原に転居したり、競輪に通いつめたこともあるらしいから、本誌連載「筝漏亭日常」の矢島康吉氏ともどこかで関連があるかもしれない。</p>
<p>伊東競輪不正告訴事件（不起訴）も起している。</p>
<p><img alt="牡丹園・横尾忠則vol.02172" src="http://editor.bungak.com/img120217b.jpg" width="540" height="405" class="mt-image-none" style="" /></p>
<p>閑話休題・・・</p>
<p>　本日の編集長は、午後から、横浜俳話会の幹事会に出かけてしまった。</p>
<p><img alt="牡丹園・横尾忠則vol.02173" src="http://editor.bungak.com/img120217c.jpg" width="540" height="405" class="mt-image-none" style="" /></p>]]>
        
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    <title>岡部義男氏短冊・・・</title>
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    <published>2012-02-16T09:28:48Z</published>
    <updated>2012-02-20T00:49:55Z</updated>

    <summary> 　4月号「方言俳句」募集の発表のために選者をお願いしている岡部義男（「夏木」主...</summary>
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        <name>大井顧問</name>
        
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        <![CDATA[<p><img alt="岡部短冊" src="http://editor.bungak.com/img120216a.jpg" width="250" height="357" class="mt-image-none" style="" /></p>
<p>　4月号「方言俳句」募集の発表のために選者をお願いしている岡部義男（「夏木」主宰）氏から、選句と一緒に「牡丹焚」の句の短冊が同封されていた。</p>
<p>　　<strong>むらさきは浄土の焔牡丹焚　</strong>　　　　　　　義男</p>
<p>　牡丹焚きは、枯れた牡丹の花の供養のために、昔から、枯木供養として行われいたらしい。たぶん、牡丹のかぐわしい香が匂いたつに違いない。</p>
<p>　もとはといえば、五月ころに咲く牡丹を寒中に咲かせるもので、藁囲いをしたりして鑑賞している。このブログの写真の寒牡丹は上野寛永寺の牡丹園のもので、春には春で、また春牡丹が公開される予定だそうである。</p>
<p><strong>　　寒牡丹大往生のあしたかな　</strong>　　　　　　黒田杏子</p>
<p>　　<strong>もういちど母の覗きし寒牡丹　　　</strong>　　　　山尾玉藻</p>
<p><img alt="牡丹園・横尾忠則vol.02161" src="http://editor.bungak.com/img120216b.jpg" width="540" height="405" class="mt-image-none" style="" /></p>
<p><img alt="牡丹園・横尾忠則vol.02162" src="http://editor.bungak.com/img120216c.jpg" width="540" height="405" class="mt-image-none" style="" /></p>
<p><img alt="牡丹園・横尾忠則vol.02163" src="http://editor.bungak.com/img120216d.jpg" width="540" height="405" class="mt-image-none" style="" /></p>]]>
        
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    <title>涅槃会・・・</title>
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    <published>2012-02-15T05:14:28Z</published>
    <updated>2012-02-15T09:11:23Z</updated>

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    <author>
        <name>大井顧問</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://editor.bungak.com/">
        <![CDATA[<p><img alt="牡丹園・横尾忠則vol.120215a" src="http://editor.bungak.com/img120215a.jpg" width="540" height="405" class="mt-image-none" style="" /></p>
<p>　２月１５日は釈迦入滅の日（本来は旧暦だが）、寺では涅槃像を掲げて経を読み、涅槃会を行う。</p>
<p>　釈尊とは、例の春日八郎が歌った「生きていたとはお釈迦様でも、知らぬ仏のお富さん～」のお釈迦さまだ。</p>
<p>　「ご新造さんえ～、女将さんへ～、やさ！お富。久しぶりだなあー。しがねえ恋が情けが仇、命の綱の切れたのをどう取りとめてか木更津から～・・・・死んだと思ったお富とは、お釈迦様でもきがつくめえ」。</p>
<p>　そのなんでもお見通しのお釈迦様の入滅した日というわけだ。</p>
<p>　　<strong>　坐る余地、まだ涅槃図の中にあり</strong>　　　　　平畑静塔</p>
<p>　　<strong>　まひるまの涅槃図へ朱を入れたりき</strong>　　　　夏石番矢</p>
<p>　　　<strong>描かれざるものの嘆きや涅槃変　</strong>　　　　　下村梅子</p>
<p><img alt="牡丹園・横尾忠則vol.120215b" src="http://editor.bungak.com/img120215b.jpg" width="540" height="405" class="mt-image-none" style="" /></p>]]>
        
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    <title>伊藤希眸『希眸』『三猿』・・・</title>
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    <published>2012-02-14T06:36:13Z</published>
    <updated>2012-02-15T09:09:23Z</updated>

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    <author>
        <name>大井顧問</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://editor.bungak.com/">
        <![CDATA[<p><img alt="牡丹園・横尾忠則vol.120214a" src="http://editor.bungak.com/img120214a.jpg" width="540" height="405" class="mt-image-none" style="" /></p>
<p>&nbsp;今度、伊藤希眸（いとう・きぼう）第三句集を小社で出版することになった。</p>
<p>原稿を頂いた段階なので、まだ何も決ってはいないが、参考にと考えて第一句集『希眸』、第二句集『三猿』を読んだ。</p>
<p>　句集『希眸』は序文に丸山海道、昭和５３年～平成３年までの句が収められている。『三猿』は平成４年～平成１３年。師の丸山海道が平成１１年４月に帰天しているので、この両句集は、伊藤希眸が文字通り海道膝下にあった時期の句で、師・海道三回忌に捧げられた句集である（序跋はない）。</p>
<p>従って今回の句集は「京鹿子」主宰・豊田都峰に師事してからの句ということになる。</p>
<p>これまでの希眸俳句の骨格の上にさらに年齢を加え、句自体はますます自在になる傾向を示しているのではなかろうか。</p>
<p>師・海道なきあととは言えど、都峰氏の懐は広いのであろう。希眸氏は自由に遊ばせてもらっているのだろう。</p>
<p>その『希眸』の命名は俳号ともども丸山海道が名付けたものである。序文の冒頭は、</p>
<p>　　　<strong>　秋櫻はひふへぽんと靴占す　</strong>　　　　　　　　　希眸</p>
<p>　の句に触れて、「平成元年の京鹿子大祭俳話において私が賞した句である。昭和六十年頃から、俳句理念として≪遊行≫の理論を唱えて来たが、その中で、『いろは歌留多』や『五十音』のリズムが、一句を遊行させることを説いたものだが、『京鹿子』連衆の実作として可成りの効果を挙げていた。（中略）この言葉には『ぽん』のほかもとより意味はなく、語感（リズム感を含め）だけなので、より一層洗練された資質が感じられる」と称揚している。</p>
<p>小生はいま、海道の唱導した「遊行」論に暗く、その実を明らかにしえないが、方丈記にいう「つれづれなる時は、これを友ととして遊行す」とあるような、歩きながらの自在の句作とでも、勝手に解釈してみた。</p>
<p>　希眸氏の「京鹿子」入門は昭和４８年とあるから、第一句集が昭和５３年からの句であれば、その習作の５年間の句は潔く、筐底に沈めたか、捨て去ったかであろう。いずれにしてもきっぱり、さっぱりしたものである。それを海道は、雅号とおなじく、「眸も大きく美しく、気性も大らかで爽やかである。遊行俳句にふさわしい人柄と言える」と序を結んいる。</p>
<p>「はひふへぽん」に倣うわけではないが、独特、かつ不思議なオノマトペは希眸俳句の特色にはちがいない。例えば、</p>
<p>　　　<strong>からからと凍て空砕き鶴翔てり</strong>　　　　　　　　『希眸』</p>
<p>　　　<strong>裏西風のがたんと通る厨子の御簾</strong></p>
<p><strong>　　　滝氷柱かんりんと折れ母哭かす</strong></p>
<p><strong>　　　生盆やわあわあ囲む涎姫</strong></p>
<p><strong>　　　冬の虹かくかくしかと砂の音</strong></p>
<p><strong>　　　トタン屋根がたんと魑魅過ぎて凍つ</strong></p>
<p><strong>　　　夢に入るりやうりやうと獅子頭</strong></p>
<p><strong>　　　梅雨送りからから飢ゑて蛇籠石</strong></p>
<p><strong>　　　四の五のと寺まで半里梅熟るる</strong></p>
<p><strong>　　　倒れたる案山子に勲章ほうやれほ　　　　　</strong>『三猿』</p>
<p>　　　</p>
<p>　当然ながら、第二句集『三猿』は希眸、一層の句の深さを生み出している。師・海道の三回忌を修し、夫人・丸山佳子への感謝を捧げ、旅立たねばならぬ気息を「あとがき」にしたためる。それが、</p>
<p>　　　　<strong>ままならぬ法師賽の目川涸るる</strong></p>
<p>句集名は、次の句による。</p>
<p><strong>　　　三猿の手に自由なき杉花粉</strong></p>
<p>以下に小生好みの句、佳句を上げておきたい。　　</p>
<p>　　　<strong>投地して石とはならず花の蟇　　　　</strong>　　　『三猿』</p>
<p>　<strong>　　花桐や妣在るごとく箸揃へ</strong></p>
<p><strong>　　　水澄んで鮭の零落はじまりぬ</strong></p>
<p><strong>　　　撃つてでよ陽のあるうちに枯蟷螂</strong></p>
<p><strong>　　　夢の文字くづし過ぎたる水中り</strong></p>
<p><strong>　　　鬼籍地を海市とさだめ詩ふなり</strong></p>
<p><strong>　　　国どこか貧し新米の飯立てり</strong></p>
<p><strong>　　　晩年の途中の茜煎じゐる</strong></p>
<p><strong>　　　この手紙妣にとどけむ菊の雨</strong></p>
<p><strong>　</strong>さて、期待の第三句集は、自らを恃む以外に道がないようですが、希眸は希望にしかず、これからが楽しみ・・なのである。</p>
<p>駄文を草した。希眸氏許されよ!</p>
<p><img alt="牡丹園・横尾忠則vol.120214b" src="http://editor.bungak.com/img120214b.jpg" width="540" height="405" class="mt-image-none" style="" /></p>
<p>　そう言えば、小生は１８から２１歳まで３年間、京都に住んだことがある。</p>
<p>　「京鹿子」は、１９２０（大正９）年、日野草城編集で創刊され、すでに９０年以上の歴史がある古い結社だ。愚生が京都にいた当時はまだ鈴鹿野風呂が健在だった。確か、「詩の家」という宿があって（樋本詩葉？）お邪魔したような記憶もある（加茂川端だったような・・・）。</p>
<p>　また、さとう野火、城貴代美等と、村上四明の安養寺というところで句会に出させてもらったような記憶が今、甦ってきた（あれは「南風」山口草堂ゆかりだったかも・・）。貴代美氏はその頃、鷲谷七菜子にぞっこんだったような・・。</p>
<p>　すべては４０年も前のことで、記憶はおぼろだ。ふいに、何かの時に思い出すのだが、その記憶も捏造されているかも知れない。あやういものだ。</p>
<p>まちがっていたらごめんなさい。</p>
<p><img alt="牡丹園・横尾忠則vol.120214c" src="http://editor.bungak.com/img120214c.jpg" width="540" height="405" class="mt-image-none" style="" /></p>]]>
        
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    <title>「俳壇賞」「歌壇賞」・・</title>
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    <published>2012-02-13T07:04:55Z</published>
    <updated>2012-02-13T13:39:19Z</updated>

    <summary> 　　先週末１０日は、市ヶ谷アルカディアで、第２６回「俳壇賞」と第２３回「歌壇賞...</summary>
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        <name>大井顧問</name>
        
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    <category term="閑話休題" label="閑話休題" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://editor.bungak.com/">
        <![CDATA[<p><img class="mt-image-none" alt="第２６回「俳壇賞」2012" src="http://editor.bungak.com/img120213a.jpg" width="540" height="405" /></p>
<p>　　先週末１０日は、市ヶ谷アルカディアで、第２６回「俳壇賞」と第２３回「歌壇賞」の授賞式、懇親会が行われた。俳壇賞は深川淑枝「鯨墓」、歌壇賞は平岡直子「光と、ひかりの届く先」。歌壇賞は角川短歌賞が高校生だったのに続いて、これも早稲田大学在学中の学生であった。</p>
<p>　俳句は少年と老人の文学だと言われたこともあったが、じつに円熟の境地を披瀝しての老年の方々の受賞が続いている。</p>
<p>　これは、作品の出来栄えのせいなのか、はたまた選者の選考基準眼のせいなのか、・・・果たしていずれに帰結するのであろうか。</p>
<p>　「俳壇賞」の深川芳枝氏は、昭和１３年生まれ。昭和３５年には「菜殻火」、さらに４１年から「春燈」、４８年から「地平」、平成１３年に「青嶺」、２１年から「白桃」を経て、現在は「青嶺」「白桃」所属で、句集『母子草』『鈴懸』をお持ちだから、句歴は申し分ない。受賞の感想の中にも「血気は老少有り、志気には老少無し」の「志気」を選んだ選考委員に敬意を表されている。</p>
<p>　　<strong>　魚島や祠に暗き絵らふそく　</strong>　　　　　　芳枝</p>
<p>　　　<strong>海女小屋に母座のありぬ桃の花</strong></p>
<p><strong>　　　一椀の真水置く岩島灼ける</strong></p>
<p>　　<strong>　稲妻や潮の浸せる鯨墓</strong></p>
<p><strong>　　　餅配闇の沁みゆく波の音</strong></p>
<p>　短歌は門外漢なので参考までに数首あげておくに留める。３．１１以後をいかに生きるかを詠んだと述べていた。</p>
<p>　　　<strong>海沿いできみと花火を待ちながら生き延び方について話した</strong><strong>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</strong></p>
<p><strong>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</strong>　　　直子　<strong>　　</strong></p>
<p><strong>　　　わたしたちの避難訓練は動物園のなかで手ぶらで待ち合わ　　</strong></p>
<p><strong>　　　せること</strong></p>
<p><strong>　　　ほんとうに夜だ　何度も振り返りながら走っている女の子</strong></p>
<p>　下の写真は選考委員の先生方。前列左端から宮坂静生、冨士眞奈美、伊藤一彦、道浦母都子、東直子の各氏。</p>
<p><img class="mt-image-none" alt="第２６回「俳壇賞2012」vol.2" src="http://editor.bungak.com/img120213b.jpg" width="540" height="405" /></p>
<p>　小生は今回は一俳人？として参加。取材スタッフは松本佳子でした。</p>
<p>　二次会へは軽くお茶でもと思っていた筑紫磐井ともども、天野小石、矢野玲奈、しなだしん各氏ともども神保町・伊藤伊那男氏の銀漢亭にタクシーで行くことに・・・。そこは、さながら懇親会の続きのような賑やかさで、松尾隆信、清隆親子、対馬康子、菊田一平、内村恭子、阪西敦子各氏をはじめ、多くの俳人と歓談。皆さんとは違い少し早めに店を後にしたのだが、帰宅してみれば、シンデレラボーイならぬ午前様の時間にあいなっていた（スタッフ松本は早々と愚生をソデにして帰って行った、酒が飲めたのに・・・）。</p>
<p>　そうそう、歌人にして俳人？の六花書林代表にして、確か「短歌人」所属の宇田川寛之氏はこのブログを愛読してくれているそうで、かつて彼は句集も手がけていたが、現在は歌集制作に軸足をシフトされているいる様子、頑張っていただきたい（小社のネットテレビもご覧になっているらしい）。</p>
<p>閑話休題・・・</p>
<p>本日の編集部は3月号校了。</p>
<p>スタッフ三東は4月号のための密教一日体験の体当たり取材。</p>
<p>編集長林は魅惑の俳人右城暮石のインタビュー記事のために茨木和生氏に会うためにいまだ関西に・・</p>
<p><img class="mt-image-none" alt="牡丹園・横尾忠則" src="http://editor.bungak.com/img120213c.jpg" width="540" height="405" /></p>]]>
        
    </content>
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    <title>堀本裕樹氏来訪・・・</title>
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    <published>2012-02-09T09:02:53Z</published>
    <updated>2012-02-09T10:24:37Z</updated>

    <summary> 　午後、第2回北斗賞受賞者・堀本裕樹氏が来社された。 　昨年、第一回が川越歌澄...</summary>
    <author>
        <name>大井顧問</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://editor.bungak.com/">
        <![CDATA[<p><img alt="堀本裕樹氏来訪vol.1" src="http://editor.bungak.com/img120209a.jpg" width="540" height="405" class="mt-image-none" style="" /></p>
<p>　午後、第2回北斗賞受賞者・堀本裕樹氏が来社された。</p>
<p>　昨年、第一回が川越歌澄氏で句集『雲の峰』になって5月刊行。</p>
<p>北斗賞は40歳以下の有望新人作家の登竜門として、受賞作を翌年春に小社で句集にして300部出版、全国主要書店に配本並びにマスコミ謹呈を行うという賞なのである。</p>
<p>　その伝でいくと受賞作「熊野曼陀羅」もそろそろ入稿しなくはいけないのだ。</p>
<p>　しかし、編集長から、受賞作に句数を足して300句くらいにして（若干の著者負担金が発生するけれども）、立派な第一句集として世に問ったらどうかという打診を受けての来訪だ。</p>
<p>　堀本氏も、その意向にそって、装丁も含めて本作りへの希望があるらしく、その相談にみえた、というわけである。</p>
<p>　聞けば、堀本氏の俳句の縁は、中上健次氏の熊野大学から始まるらしい。本人も和歌山県生まれ、まさに「熊野曼陀羅」というタイトルは彼のためにあるようなものかも知れない。</p>
<p>彼の大切にしている健次の色紙に「紀州。輝きの闇の国家よ。1978．8.8」と書かれたものがあるという。</p>
<p>　そういえば、かつて坪内稔典の「現代俳句」の何集かで、中上健次特集をやって、愚生も未熟な健次論を書いたのを思い出した。確かに「枯木灘」は力強い文体で、存在そのものの怒り、のような何かを感じさせていたように思う。</p>
<p>　堀本氏はその後、若くして角川春樹主宰「河」の編集長を務めたのち退会され、現在は上野一孝代表「梓」同人。さらに、「いるか句会」「たんぽぽ句会」などを主宰し、俳句を業として生きていく決意のようだ。</p>
<p>　次代の俳句界を背負いたつ俊英の一人と呼んで差し支えはないだろう。</p>
<p>　ともかく、受賞作に加えて句稿をそろえ、本年8～９月くらいには出版する予定になった。乞うご期待！</p>
<p>　　<strong>　行き倒れし者蟋蟀に跳び乗らる　</strong>　　　　　　裕樹</p>
<p>　　　<strong>詩を生みて万年筆の吹雪きけり</strong></p>
<p><strong>　　　鳶の輪を射ぬく春日や熊野灘</strong></p>
<p><strong>　　　火焔土器よりつぎつぎと揚羽かな</strong></p>
<p><strong>　　　天日を誇るがごとし鵙の贄</strong></p>
<p><img alt="五色・青山・風景" src="http://editor.bungak.com/img120209b.jpg" width="540" height="405" class="mt-image-none" style="" /></p>
<p>&nbsp;</p>]]>
        
    </content>
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    <title>取次ぎ廻り2日目・・・</title>
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    <published>2012-02-08T08:56:37Z</published>
    <updated>2012-02-09T10:26:27Z</updated>

    <summary> 　3月号、特集「まるごと一冊　現代俳句協会」の仕入れ部数交渉の2日目、日販と栗...</summary>
    <author>
        <name>大井顧問</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://editor.bungak.com/">
        <![CDATA[<img alt="蝋梅ほかvol.120208" src="http://editor.bungak.com/img120208a.jpg" width="540" height="405" class="mt-image-none" style="" /><p></p>
<p>　3月号、特集「まるごと一冊　現代俳句協会」の仕入れ部数交渉の2日目、日販と栗田出版販売に出かけた。</p>
<p>　朝は会社に寄らず直行したが、晴れの天気予報は何処へやら、寒さだけは当って、家を出るときは、小雪が散らついていた。</p>
<p>　取次ぎ最大手の日販、そしてトーハンの部数は、会員の票数を考慮しての部数増？（わずかだけどね・・）。前回の伝統俳句協会特集のときは、発売後に書店に買いに行かれた方が多く、売り切れてしまった。</p>
<p>　今回はその轍は踏まないようにと、事前に執筆者購入も記入していただく欄も入れてあったので、おおよその部数は読めるが、それでも、正確に読むことは難しい、特に書店店頭での売れ行きについてはそうだ。</p>
<p>　せめて業界ナンバーワンの「俳句」（NHKは別格なので勘定に入れません）の後塵を拝すくらいには伸ばしたい（通常よりは多く刷って、「俳句」の図書館への販売数を除く、実売数くらいは売りたいものだ・・・）。</p>
<p><img alt="蝋梅ほかvol.1202082" src="http://editor.bungak.com/img120208b.jpg" width="540" height="405" class="mt-image-none" style="" /></p>
<p>&nbsp;</p>]]>
        
    </content>
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    <title>3月号部決取次ぎ廻り・・・</title>
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    <published>2012-02-07T06:23:43Z</published>
    <updated>2012-02-09T10:27:58Z</updated>

    <summary> 　3月号特集「まるごと現代俳句協会」、今日はまず、トーハン、太洋社、大阪屋。ト...</summary>
    <author>
        <name>大井顧問</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://editor.bungak.com/">
        <![CDATA[<p><img alt="沈丁花こでまりvol.1202071" src="http://editor.bungak.com/img120207a.jpg" width="540" height="405" class="mt-image-none" style="" /></p>
<p>　3月号特集「まるごと現代俳句協会」、今日はまず、トーハン、太洋社、大阪屋。トーハンでは担当者が、現代俳句協会約7000名の会員の組織票に期待して・・ということで、仕入れ部数を増やしてくれた。これに気をよくして、しかも意外と早く終ったので、この調子で行くと、他の取次ぎを回っても午前中には終わると思い、取次ぎの納品伝票を買ってくるように頼まれていたので、これを最期にして、再び、大阪屋から引き返して買えばいい（12時までだから）、仕入れ窓口は午前中は11時半まで受付・・・。しかし・・・、その次に回った太洋社では待ち席満杯で、午前中に終わるどころか、結局、大阪屋へは午後一番に行かざるを得なくなった。そうなると、食事をして、大阪屋のすぐそばの水道橋図書館で昼の時間つぶし。久しぶりで『定本　現代俳句』山本健吉を手に取った。</p>
<p>　この『現代俳句』は、俳人のバイブルのように言われている本だが、増補、改訂を繰り返している。</p>
<p>　小生の世代にとってのバイブルだった、かの『現代俳句』は永田耕衣収載までの『現代俳句』ではなかろうか。その後、少しずつ加えられて行った俳人は、森澄雄、飯田龍太、細身綾子、相馬遷子、角川春樹であるが、各作家の執筆分量が大幅に違っているのは、どのような理由によるものであろうか？さすがの山本健吉にも鑑賞眼に変貌の兆しが窺えないわけではない。</p>
<p>　ともあれ、取次ぎ廻りの明日は、日販から・・・（雨が上がっていますように・・・）。</p>
<p><img alt="沈丁花こでまりvol.120207b" src="http://editor.bungak.com/img120207b.jpg" width="540" height="405" class="mt-image-none" style="" /></p>]]>
        
    </content>
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    <title>五色会20周年記念祝賀会・・・</title>
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    <id>tag:editor.bungak.com,2012://2.328</id>

    <published>2012-02-04T13:56:08Z</published>
    <updated>2012-02-06T01:48:06Z</updated>

    <summary> 　立春大吉の本日、五色会20周年記念句集『五色』出版記念祝賀会が、北青山外苑銀...</summary>
    <author>
        <name>大井顧問</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://editor.bungak.com/">
        <![CDATA[<p><img class="mt-image-none" height="405" alt="五色の会vol.1" src="http://editor.bungak.com/img120204a.jpg" width="540" /></p>
<p><img class="mt-image-none" height="405" alt="五色の会vol.2" src="http://editor.bungak.com/img120204b.jpg" width="540" /></p>
<p>　立春大吉の本日、五色会20周年記念句集『五色』出版記念祝賀会が、北青山外苑銀杏並木側の「ロイヤル・ガーデン・カフェ」で行なわれた。</p>
<p>　記念句集に収められたのは20人、一人20句、合同句集としては、読み切るのには、ちょうどよい収録人数・句数である。</p>
<p>　句集の監修は星野高士氏、編集長は新村もとを氏。メンバーは多士済々、祝賀会の開会の挨拶は五色会幹事長にして、玉藻同人副会長の西川阿舟氏、司会は小島一慶氏が務めた。</p>
<p>　来賓挨拶では星野椿氏が実に大らか、伸びやか、ユーモア溢れる挨拶で会場を沸かせに沸かせた。</p>
<p>　余興には落語には大阪からこられた同人のかかし（伊尾喜明）こと素人落語家・田舎屋かかし氏（素人とは思えません）。</p>
<p>　講談は神田陽子氏の与謝野晶子伝のエッセンス（すでに俳歴も6年とのこと）。</p>
<p>　小生の横は国際俳句交流協会の藤本はな氏、前は玉藻同人にして豊田通商の東京支部長・奥住士朗氏、斜め前は前角川学芸出版社長・青木誠一郎氏（現・学芸みらい社社長）。ともあれ、賑やかなうちにあっという間に三時間が過ぎた。</p>
<p><img class="mt-image-none" height="405" alt="五色の会vol.3" src="http://editor.bungak.com/img120204c.jpg" width="540" /></p>
<p><img class="mt-image-none" height="405" alt="五色の会vol.4" src="http://editor.bungak.com/img120204d.jpg" width="540" /></p>
<p><img class="mt-image-none" height="410" alt="『五色』book" src="http://editor.bungak.com/img120204book.jpg" width="280" /></p>
<p>　皆さんお祝いの1句を提出させられていたが、小生の愚作は、</p>
<p>　　　<strong>五色また二十歳の色や立てる春　</strong>　　　恒行</p>
<p>　因みに以下は、『五色』からの句を上げさせていただく。</p>
<p><strong>　　　雑炊や別れの言葉いらぬ宴</strong>　　　　　　　星野高士</p>
<p>　　　<strong>五色とは広がる彩や揚花火</strong></p>
<p><strong>　　　五稜郭見んと高きに登りけり　　　　　　</strong>西川阿舟</p>
<p><strong>　　　人の話し聞いてゐるかに扇風機　</strong>　　　根津り絵　</p>
<p><strong>　　　鎌倉の五山萌えだす立子の忌</strong>　　　　　秋山静作</p>
<p><strong>　　　麦秋の句会麦屋といふところ　</strong>　　　　　中村フミ</p>
<p>　　<strong>　聞くよりは語る身となり終戦日</strong>　　　　　矢野春行士</p>
<p>　　<strong>　枕木の香り夏めく廃線路</strong>　　　　　　　　　安田　弦</p>
<p>　　　<strong>遠雷や二死満塁のスタジアム　</strong>　　　　石橋宙太</p>
<p><strong>　　　天の川消へて微塵もなき母校</strong>　　　　　寺澤繰子</p>
<p><strong>　　　月の友スカイツリーはまだ伸びる　</strong>　　青嶋青鈴</p>
<p>　　<strong>　双六や上り間際の四苦八苦</strong>　　　　　　伊尾かかし</p>
<p><strong>　　　森の風光に変へて銀やんま</strong>　　　　　　新村もとを</p>
<p>　<strong>　　日本橋渡る先にもクリスマス</strong>　　　　　　吉村冬子</p>
<p><strong>　　　境内にゐて成人の日なりけり</strong>　　　　　中村勢津子</p>
<p><strong>　　　月に音あるやも夏至の波枕　　</strong>　　　　市川未翔　</p>
<p>　　<strong>　晴れずともこの空が好き秋惜しむ</strong>　　　神田陽子</p>
<p>　<strong>　　盛塩のひとつ踏まれて夏めける　　　</strong>林　備後</p>
<p><strong>　　　闇は闇へ戻りたがりて大花火　</strong>　　　小島一慶</p>
<p><strong>　　　物言はぬ団欒もあり春の雨　　　　</strong>　川合季彦</p>
<p><strong>　　　西へ行く行けば行くほど春の昼</strong>　　　　田中綾子</p>
<p>　　　<strong>末吉に満足したり去年今年　　</strong>　　　　及川幸子</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img class="mt-image-none" height="405" alt="五色の会vol.5" src="http://editor.bungak.com/img120204e.jpg" width="540" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>閑話休題</p>
<p>上記とは全く関係なく、下の写真は、昨夜のわが編集部打ち上げの「花の舞」の林編集長ご推薦の戦国武将カードがもらえる「愛スクリーム」。</p>
<p><img class="mt-image-none" height="405" alt="五色の会vol.6" src="http://editor.bungak.com/img120204f.jpg" width="540" /></p>
<p><img class="mt-image-none" style="WIDTH: 391px; HEIGHT: 384px" height="1754" alt="img01605花の舞.jpg" src="http://editor.bungak.com/img01605%E8%8A%B1%E3%81%AE%E8%88%9E.jpg" width="1240" /></p>]]>
        
    </content>
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    <title>前田英樹「剣」の法（のり）・・・</title>
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    <published>2012-02-03T05:39:55Z</published>
    <updated>2012-02-04T01:46:18Z</updated>

    <summary>　　 　前田英樹氏は本誌４月号「密教について」のエッセイを、宗教学者の山折哲雄氏...</summary>
    <author>
        <name>大井顧問</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://editor.bungak.com/">
        <![CDATA[<p>　<img class="mt-image-none" alt="諏訪神社.jpg" src="http://editor.bungak.com/%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg" width="240" height="320" />　</p>
<p>　前田英樹氏は本誌４月号「密教について」のエッセイを、宗教学者の山折哲雄氏ともども執筆していただく気鋭の評論家。現在、立教大学映像身体学科の教授にして、新陰流研究の古武道家である。</p>
<p>　デビューの本は、丸山圭三郎の弟子らしく『沈黙するソシュール』（書肆山田）、その後立て続けに『言語の闇を抜けて』『小津安二郎の家』を世に問うた。そして、『小林秀雄』『セザンヌー画家のメチエ』『宮本武蔵「五輪書」の哲学』、さらに『絵画の二十世紀』『倫理について』『独学の精神』『保田與重郎を知る』など、著書多数で、今、乗りに乗っている評論家だ。</p>
<p>　現在「ちくま」（筑摩書房）に連載中の「『剣』の法ー「クネり打ち」とは何か」（第１６回）は、新陰流兵法の何たるかを、その剣の極意とともに、実に実践的に書き上げているものだ。太刀筋、身体の位置、勝ち口など詳細にわたっている。</p>
<p>　かくいう小生は２０歳代後半、今は刀禅会と名付けて、真剣を想定した剣法と形意拳など中国武術を総合した新たな流儀を広めている、知る人ぞ知る達人の噂高い小用茂夫氏とともに、当時新陰流兵法「転（まろばし）会」の渡辺忠成先生の膝下で、若くして師範代を務めていた前田英樹氏に稽古をつけていただいていた。</p>
<p>　世にいわれる柳生新陰流は江戸柳生、尾張柳生に受けつがれ、三代目にして江戸柳生はすでに勢法（かた）を欠伝し、幕末では殿様剣法と揶揄され、その正伝は尾張にあったとされている（裏柳生）。その尾張柳生の正伝を受け継いでいた渡辺忠成先生とともに、前田英樹氏は「上泉伊勢守に帰れ」という思想を掲げ、ひたすら武道の何たるかを追求していた（３０年ほど前、すでに若手武道家として甲野義紀氏と並び称されていた）。</p>
<p>　小生は１０年間くらい「天狗抄」をいただくのがやっとで、俗事にまみれ多忙を極めたなかで、稽古に通う時間がなくなって、新陰流転会を止めてしまった（一人稽古は少し試みたが・・・）。</p>
<p>　それでも、先人から「ゆめゆめ争う事なかれ」「力ではなく業（わざ）」「後の先」など、学んだことは多い。</p>
<p>　極意の剣はなんと言っても、必勝の剣「転（まろばし）打ち」、小説などで世に喧伝されている「柳生兜割り」でる。簡単にいえば、自分の中心軸に沿って、ひたすら真っ直ぐ打ち下ろす太刀筋の剣である。</p>
<p>　この極意の剣は、免許の段階が一つ上がるごとに一つ、先生から、一度だけ教わる剣である。免許皆伝は「印可」と呼ばれていた。</p>
<p>&nbsp;通常の稽古は勢法（かた）稽古に終始する。防具はなし。竹刀は袋竹刀・蟇肌竹刀（ひきはだしない）と呼ばれる竹の先を８つに割った上に皮袋をかぶせたものを使う。新陰流では上泉信綱が考案したと伝えられている。実用的で、当っても、いわゆる剣道の竹刀ほど痛くはない。</p>
<p>古武道の剣は、もちろん左右どちらからでも出る。当然左右どちらでも受ける。円の動きに極まる。</p>
<p>　小生は「小転（こまろばし）」「大転（おおまろばし）」「天狗抄」まで三段階までしか登れなかった。</p>
<p>　何しろ、始めた心がけがよくない。仕事が終って、一週間に一度くらい、運動不足解消に、しずかに稽古ができるのがいい、という程度だった。静かといえば、新陰流の稽古では大声を出すことはない。</p>
<p>　呼吸の音のみが聞こえる・・。それでも、汗が出て来る。</p>
<p>　実際、位（くらい）取りは、相手と自分の気を位を感じることもあった。</p>
<p>　小説に出てくる柳生石州斎の「真剣白刃取り」などといいう業は無かったけれど、「無刀取り」はあった。そして「無刀の位」というのもあった。</p>
<p>　いずれ、小生は不肖の弟子であったが、映画「七人の侍」の決闘シーンでは、当時、柳生流を殺陣師に教えた人がいて、「三学円之太刃（さんがくえんのかた）」の第一「一刀両断」の組太刃とよく似ていて、何度か観たように思う。</p>
<p>　「真剣ならば私の勝ち・・・」という科白が忘れられない。</p>
<p><img class="mt-image-none" alt="三鷹駅前vol.120203" src="http://editor.bungak.com/img120203b.jpg" width="540" height="405" /></p>
<p>　閑話休題・・</p>
<p>　今日の編集部は、今日で３月号の印刷所入稿をほぼ終える。編集後記もそれぞれ書き上げた。</p>
<p>　このあと、スタッフ松本と、出版部の齋藤は、坂口昌弘氏と次に出す評論集『平成の好敵手』（仮題）の制作打ち合わせに出かける。</p>
<p>　入稿後の打上げには、編集長推薦の九段下某所の居酒屋に行くことになった（ホッと一息・・・）。</p>
<p><img class="mt-image-none" alt="栗田・界隈、池袋ジュンク vol.120203" src="http://editor.bungak.com/img120203c.jpg" width="540" height="405" /></p>]]>
        
    </content>
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    <title>桐谷咲玖良句集『咲玖良』・・・</title>
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    <published>2012-02-02T05:29:03Z</published>
    <updated>2012-02-02T07:30:47Z</updated>

    <summary> 　咲玖良さんは、現在中学校一年生。 　句集『咲玖良』は幼稚園から小学校6年生ま...</summary>
    <author>
        <name>大井顧問</name>
        
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        <![CDATA[<p><img alt="咲玖良" src="http://editor.bungak.com/img120202a.jpg" width="344" height="488" class="mt-image-none" style="" /></p>
<p>　咲玖良さんは、現在中学校一年生。</p>
<p>　句集『咲玖良』は幼稚園から小学校6年生までの句が収められている。</p>
<p>　咲玖良さんと一緒に俳句を作り、遊び、楽しみ、句集まで作ってしまったのは祖母の桐谷綾子さん（「あとがき」も）。きっと、素敵な誕生日プレゼントになったはずだ（だって、句集発行日が咲玖良さんの誕生日と同じだもの）。</p>
<p>　序文は「若葉」主宰・鈴木貞雄氏。</p>
<p>咲玖良さんは、おばあさんと一緒の手作り俳誌「函嶺」や「若葉」（2年前から投句）を通して、7年間、月々の投句を一度も欠かしたことないという。それだけで、十分に努力賞ものである（がまん強く意志の強い子なのだきっと）。</p>
<p>　跋文は、函嶺白百合学園前教頭の今田瑠美子氏。それによるとカトリックの新玉幼稚園時代、つまり5歳から俳句を作りはじめ6歳で「東光庵俳句大会」（庵主・中曽根康弘）に初投句して、以後、特別賞にたびたび入選しているとのこと。</p>
<p>　ともあれ、その幼稚園時代の句が、句集巻首におかれ、編年順の句が収められている。</p>
<p>　　<strong>まよいみちちょうちょがわたしのみちあんない</strong>　　　　　　咲玖良</p>
<p>　<strong>　わかれのひなみだでさくらがかすんだよ</strong></p>
<p>以下、小学生に上がってからの句を、</p>
<p>　<strong>　発表会汗びっしょりのレオタード　</strong>　　　　　　 　一年生</p>
<p>　<strong>　花びらのような前歯がぬけました</strong></p>
<p><strong>　　ゆかた着て夜店で金魚すくったよ　　　　　　　</strong>二年生</p>
<p>　　<strong>ねこじゃらしありがのぼってゆれている　</strong></p>
<p><strong>　　おみこしをかついでみたい「わーっしょい」　 　</strong>三年生<strong>　　</strong></p>
<p><strong>　　春の風とつぜんくしゃみ花粉しょう？　　　　　</strong></p>
<p><strong>　　まだ少し緑色残るくりのいが　　　　　　　　　</strong>　四年生</p>
<p>　<strong>　こどもの日雨のおみこしひと休み</strong></p>
<p><strong>　</strong>学年が上がるごとに、使われる漢字の数が増えていく様子もわかる。</p>
<p>　もちろん、表現する力もより豊かになっていく。</p>
<p>　<strong>　バレリーナ新緑色のコスチューム　</strong>　　　　　　　五年生</p>
<p>　　<strong>チューリップ親指姫がいるような　</strong></p>
<p><strong>　　謝辞をよむ父の思いよ卒業式　　　　　　　　　</strong>六年生</p>
<p><strong>　　被爆と地震乗りこえ咲いたチューリップ</strong></p>
<p><img alt="早稲田界隈vol.1" src="http://editor.bungak.com/img120202b.jpg" width="540" height="405" class="mt-image-none" style="" /></p>
<p><img alt="早稲田界隈vol.2" src="http://editor.bungak.com/img120202c.jpg" width="200" height="266" class="mt-image-none" style="" /></p>
<p>　閑話休題・・・<strong>　　</strong></p>
<p>　今日の編集部は3月号の印刷所への入稿日だ。一山越えるためには、あと少しがんばらなければなりません。</p>
<p>　編集長、スタッフ全員、ホームストッレッチ、直線コースに差し掛かったところ、最期の鞭が入っている。まったく、話しは逸れてしまうが、競馬好きだった寺山修司が選んだ「私の忘れがたかった馬ベスト・テン」は以下である（『競馬放浪記』1982年刊より）。</p>
<p>①ミオソチス（忘れな草の意味）</p>
<p>②カブトシロー（呪われた穴馬）</p>
<p>③モンタサン（不運の名馬）」</p>
<p>④ホワイトフォンテン（逃げ馬一代）</p>
<p>⑤テンポイント（死んで生まれた馬）</p>
<p>⑥ハイセイコー（公営上がりの名馬）</p>
<p>⑦メジロボサツ（孤児の名牝）</p>
<p>⑧ユリシーズ（私の持ち馬）</p>
<p>⑨タカツバキ（ダービーで落馬）</p>
<p>⑩テキサスシチー（負けつづけの馬）</p>
<p>　寺山にとっての忘れがたかったのは、いわゆる名馬、強い馬ではない。そういえば、波多野爽波も競馬好きだったように記憶している。句会の最中にも馬券の行方が・・・というタイプだったような・・・（何しろ俳句スポーツ説を唱えたくらい俳句では体育会系？）。藤原龍一郎もそうだったような・・・。</p>
<p><img alt="早稲田界隈vol.3" src="http://editor.bungak.com/img120202d.jpg" width="540" height="405" class="mt-image-none" style="" /></p>]]>
        
    </content>
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    <title>愛妻の日・・・</title>
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    <published>2012-01-31T02:56:41Z</published>
    <updated>2012-02-01T06:51:23Z</updated>

    <summary> 　愛妻協会というのまである。 　活動理念として、 １、　日本愛妻家協会は、持続...</summary>
    <author>
        <name>大井顧問</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://editor.bungak.com/">
        <![CDATA[<p><img alt="愛妻の日vol.1" src="http://editor.bungak.com/img120131a.jpg" width="540" height="405" class="mt-image-none" style="" /></p>
<p>　愛妻協会というのまである。</p>
<p>　活動理念として、</p>
<p>１、　日本愛妻家協会は、持続可能な夫婦関係はどうも世界の平和と地球環境の保全につながっているらしいと気づいたオヤジたちが始めた、いたってスローな活動です。「サスティナブルな夫婦環境を保全するワイフコンシャスなライフスタイル」という感じです。</p>
<ol class="pro-actionpolicy">
<ol class="pro-actionpolicy">
<li>失われつつある日本独自の愛妻家という文化を再生します。 
<li>絶滅が危惧される愛妻家の生態を調査し保護育成に努めます。 
<li>愛妻家だけもつ知られざる倦怠感削減の知恵を世の中に広めます。</li></ol></ol>
<p>　まあ、なかなかユーモアに溢れたものだ。</p>
<p>　ところで、こういった愛妻という概念では到底括りきれないが、歌人・河野裕子の亭主であり、歌人・永田和宏氏は「波」に「河野裕子と私ー歌と闘病の十年ー」を連載している。2月号はその第9回。</p>
<p>　今回は母・河野君江とのことに多くのページが割かれている。</p>
<p>　母もまた、卵巣癌、すい臓癌で手遅れだった。その折に河野裕子に再発の癌が見つかった。</p>
<p>　<strong>　死ぬまでに時間はそんなに無いひとに今年の桜一枝を持ちゆく</strong>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　裕子</p>
<p>　<strong>君江さんわたしはあなたであるからにこの世に残るよあなたを消さぬよう</strong>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　裕子</p>
<p>手術から8年が過ぎて再発、その歌がある。</p>
<p>　<strong>まぎれなく転移箇所は三つありいよいよ来ましたかと主治医は言へり　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</strong>　裕子</p>
<p>　永田和宏は23回の引越しをしたという。河野裕子と結婚後だけでも13回、現在の家を買ったのが1998年の秋。</p>
<p>　　<strong>この家で死のうかとひとに言いながら落葉の底に火を挿し入れぬ</strong></p>
<p><strong>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</strong>　　和宏<strong>　</strong></p>
<p>　今回の稿は、次のように閉じられている。</p>
<p>　　<strong>この再発を機に、彼女はどこかで私を突き抜けた。私には及ばな　</strong></p>
<p><strong>　い断念</strong><strong>と諦念、そして死に臨む強い意志、生きてある生の時間を愛　</strong></p>
<p><strong>　おしむ健気</strong><strong>な感覚と、生と死に対する思慮において、いつの間に</strong></p>
<p><strong>　か</strong><strong>、私の手の届か</strong><strong>ぬ遙かな精神の高みに至っていたと思うのであ</strong></p>
<p><strong>　る。それを私が実感する</strong><strong>ようになるのは、遙かのちになってからで</strong></p>
<p><strong>　あった。</strong></p>
<p><img class="mt-image-none" alt="20111231131215公園ベンチ像.jpg" src="http://editor.bungak.com/20111231131215%E5%85%AC%E5%9C%92%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%81%E5%83%8F.jpg" width="240" height="320" /></p>
<p>　　閑話休題・・・</p>
<p>　スタッフ松本のパソコンが壊れて、追い込みなのに「仕事が出来ないよう・・・」と嘆いている。「どうしよう・・・」。</p>
<p><img alt="愛妻の日バラ" src="http://editor.bungak.com/img120131c.jpg" width="540" height="405" class="mt-image-none" style="" /></p>]]>
        
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